無隣庵を訪問して、遅くなったが、南禅寺から大文字山に登り、法然院に下りる。
若王子の同志社墓地の新島襄のお墓に参ってから、大文字山に登る。
法然院に下山して、法話を聞く。13時半を少し過ぎてから入ったが、聴衆は、僕を含めて二人だけ。






















梅田散歩
無隣庵を訪問して、遅くなったが、南禅寺から大文字山に登り、法然院に下りる。
若王子の同志社墓地の新島襄のお墓に参ってから、大文字山に登る。
法然院に下山して、法話を聞く。13時半を少し過ぎてから入ったが、聴衆は、僕を含めて二人だけ。
南禅寺の奥の院から大文字山に登る。
火床から法然院に下りる。法話が14時からあるとの案内が出ていたので、1時間ほど待って梶田真章貫主の話を聞く。法話を聞くのは、これで3回目。
法然「人間は全て凡夫・愚者」
阿弥陀仏は平等に一切の生きとし生ける者を成仏させようとの慈悲の心から本願を立てて極楽を構えられたのだから、寺院の建立や難しい修行の実践が極楽往生の条件ではなく、本願を信じて『南無阿弥陀仏』(限りない命の、真理に目覚めた存在に任せきる)と唱えれば必ず往生できる、阿弥陀仏が大昔に極楽を建立した時に全ての生き物に宛てて招待状を発送済みだから、招待状のお返事を出しさえすれば(『南無阿弥陀仏』と唱えれば)よい」と説いた。
それまでは人間には聖人と凡人の区別があるとされてきたが、人間は全て仏と比べれば凡夫というしかない、その凡夫を憐れんで阿弥陀仏は極楽で待ってくださるのだと言い切ったのである。
八百年前の日本人は仏教徒であり、善人か悪人かの基準は不殺生戒を守れるかどうかであった。「戒行において一戒を持てず」が法然・親鸞の凡夫・愚か者・悪人の自覚であった。
現代日本における善人か悪人の基準は法律を破ったかどうかであるから、殆どの日本人は自分が善人である、少なくとも悪人でないと思っている。
自分は悪人だから自分に何が起こっても「自業自得」だというのが八百年前の謙虚な日本人であったが、自分は善人なのにどうしてこんなに酷い目に遭うのかというのが現代の傲慢な日本人である。
この世は不条理であり、自分の常識では納得できないことと出逢わねばならないからこそ神仏や極楽を信じる宗教が必要とされてきたということを僧として改めて説いてゆかねばならないと思っている。合掌。
朝方は、曇り空。防寒着を持たずにきたので、比叡山は諦めて、大文字山に登る。
銀閣寺の脇の八神社の秋祭りに出会う。神輿の本棒が延長されている。
銀閣寺の脇から火床への登りは、小さな子供を連れた家族が多い。ここも、トレールランニングの人も多い。Tシャツ、半パンに水筒だけで走っている。
火床を越えて、大文字山の頂上(466m)でお昼休憩。風が吹いてて、肌寒い。カッパを重ね着して、京阪三条の志津屋で買った揚げパンを食べる。
下山は、京都一周トレールを外れて、脇道を下る。整備されている道以外は、結構急な道で、すれ違ったのは、一人だけ。
南禅寺の奥の修験道の行場を過ぎると、観光客のいる琵琶湖疏水、水路閣にでる。方丈、三門を眺めて南禅寺を後にする。
岡崎公園、平安神宮、京都会館(ロームシアター京都)を抜けて、河原町三条へ。
寺町通りの「季節の京野菜 とり市老舗」で、松茸を拝む。一篭、3本で5万円。15万円の篭(空)もあった。
帰りは、四条河原町から阪急に乗る。
哲学の道を南に進む。
野良猫がたくさんいて、餌をもらっている。
「熊野若王子神社」の脇を登っていくと、「新島襄と八重の墓」への道案内が現れる。
墓場を過ぎていくと、「同志社墓地」の真ん中に新島襄の墓がある。
さらに登っていくと岩場があり、洞窟がある。その下には、「南禅寺」の「奥の院」の建物がある。
さらに進むと「天の岩戸」がある。その先に「日向大神宮」の石段を下って、琵琶湖疎水のインクラインを経て、地下鉄「蹴上駅」に着く。