大文字山 京都 (2018/5/12)

南禅寺の奥の院から大文字山に登る。

火床から法然院に下りる。法話が14時からあるとの案内が出ていたので、1時間ほど待って梶田真章貫主の話を聞く。法話を聞くのは、これで3回目。

(HUFPOST)(Temple-web)

法然「人間は全て凡夫・愚者」

阿弥陀仏は平等に一切の生きとし生ける者を成仏させようとの慈悲の心から本願を立てて極楽を構えられたのだから、寺院の建立や難しい修行の実践が極楽往生の条件ではなく、本願を信じて『南無阿弥陀仏』(限りない命の、真理に目覚めた存在に任せきる)と唱えれば必ず往生できる、阿弥陀仏が大昔に極楽を建立した時に全ての生き物に宛てて招待状を発送済みだから、招待状のお返事を出しさえすれば(『南無阿弥陀仏』と唱えれば)よい」と説いた。
それまでは人間には聖人と凡人の区別があるとされてきたが、人間は全て仏と比べれば凡夫というしかない、その凡夫を憐れんで阿弥陀仏は極楽で待ってくださるのだと言い切ったのである。

八百年前の日本人は仏教徒であり、善人か悪人かの基準は不殺生戒を守れるかどうかであった。「戒行において一戒を持てず」が法然・親鸞の凡夫・愚か者・悪人の自覚であった。
現代日本における善人か悪人の基準は法律を破ったかどうかであるから、殆どの日本人は自分が善人である、少なくとも悪人でないと思っている。

自分は悪人だから自分に何が起こっても「自業自得」だというのが八百年前の謙虚な日本人であったが、自分は善人なのにどうしてこんなに酷い目に遭うのかというのが現代の傲慢な日本人である。
この世は不条理であり、自分の常識では納得できないことと出逢わねばならないからこそ神仏や極楽を信じる宗教が必要とされてきたということを僧として改めて説いてゆかねばならないと思っている。合掌。

“大文字山 京都 (2018/5/12)” への1件の返信

  1. いいお話しですね。
    歩くだけで、色んな知識も増え、楽しいですね。
    記憶力、凄いです。

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