読書 塩野 七生 著 『ルネサンスとは何であったのか』 新潮文庫

塩野 七生 著 『ルネサンスとは何であったのか』 を読む。

第一部 フィレンツェで考える
「フリードリッヒ二世の生きた時代から八百年が過ぎようといy現代でもなお、ヨーロッパでは、宗教に対する人間の態度を三つに分ける考え方が生きています。イタリア語で言えば、
「アテオ」(ateo)-無神論者、無信仰者、神の存在を信じない人を指す。
「クレデンテ(credente)」-信仰者、とくに「プラティカンテ」と断われば、掟を忠実に守り、日曜日には必ず教会でのミサに参列する人を言う。
「ライコ(laico)」-神の存在は否定まではしないが、宗教が関与する分野と関与すべきでない分野の区分けを、明確にする考え方を採る人のこと。
修道士である聖フランチェスカが「クレデンテ」であり、「プラティカンテ」であったのは当然ですが、フリードリッヒ二世とて「アテオ」であったのではない。ただしあの時代には、「ライコ」であっても「アテオ」と看なされたのです。著作が法王庁から禁書に処される政治思想家でマキャベリも「ライコ」、地動説の撤回を強いられた科学者ガリレオも「ライコ」。ルネサンスとは、これら「ライコ」たちが起こした精神運動であったと言ってもよい。しかし、フリードリッヒ二世の不運は、このルネサンスのはじめに生きたがゆえに、法王は太陽、皇帝は月と言ってはばからなかった時代のキリスト教会を相手にしなければならなかったことですね。」

「フリードリッヒがローマ教会に突き付けたのは、より根源的な政治と宗教の分離であり、これはもう、15世紀のマキャヴェッリの、そして18世紀になって起こる啓蒙主義の、前ぶれとしてもよい「ライコ」思想による中世体制への挑戦でした」
「具体的には、フリードリッヒ二世のライコ精神はどのような形であらわれたのですか」
「まず第一に、法律の整備です。古代ローマ帝国が頭に入っていた彼の考えに立てば、再整備といったほうが適切かもしれない。
第二は、最高統治者である皇帝を補佐する、官僚機構を組織したこと。フリードリッヒの考える帝国は中央集権そのものであったので、その皇帝の手足の機能をする官僚システムは必要不可欠だったのです。」
「第三ですが、税制を整備したことでした。とはいえ、長い歳月にわたって放置されてきた国家が再び機能し始めるには欠かせない、物的人的インフラの創設に要する費用を捻出するためもあって、公正を期することは実現できたにしろ、税率のほうは相当に高かったようです。
税の徴収ということならば最も容易だった関税は、低く押さえています。経済力の向上が、帝国の統治上の重要事の一つと認識していたからでしょう。経済の振興は物産の流通が成り立ってこそで、それには関税を低く押さえるのが有効であったからです。
第四も、経済力の向上を狙ったからこそ生まれた政策で、通過の整備がそれでした。
中世時代の国際通貨は、ビザンツ帝国発行のソルドかイスラム世界の通貨であるディナルだった。ヨーロッパに諸通貨は悪貨と見なされて信用度が低く、ヨーロッパに住む人ですら、自国の通貨を手にするやなるべく早くソルドやディナルに換金していたくらいです。これでは、いつまで経ってもヨーロッパ通貨の信用度は改善されない。信用度の低い通過を使っているかぎり、経済の振興は夢で終わるしかありません。フルードリッヒは、良貨再興を期し実践したのです。
彼はこの新通貨を、「アウグスターレ」(アウグスト式)と名づけます。ローマ時代の金貨に比べれば重さは三分の二ですが、混合物なしの純金製であることではローマ帝国並み。皇帝の横顔を彫る様式からその周囲に文字によるメッセージを刻むことから、ローマ帝国の通貨制度を整備した人である初代皇帝アウグストゥスを踏襲する考えであったことは明らかです。これが流通するようになってはじめて、オリエントの人々でも西方の通貨を受け取るようになったと言われています。悪貨が良貨を駆逐すると言われますが、駆逐したとしてもそれは短期の話で、長期的には駆逐されるのは悪貨のほうということでしょう。」

イェルサレムの王でもある神聖ローマ帝国皇帝の率いる十字軍と対決するのを嫌ったエジプトのスルタンは、フリードリッヒの、流血なしの解決の提案を受け入れたのです。これが確認されてはじめて、フリードリッヒは海路、パレスティーナに向けて出発します。これが第五次十字軍で、1228年6月のことでした。

聖地での第一夜をイスラム様式の華麗な宮殿で過ごしたフリードリッヒは、翌日、再び挨拶に現れたイスラム側の高官たちに言います。ミナレットの上から信者たちに告げられるという、モアヅィンの声が聴こえなかったがどうしてか、と。かしこまったイスラムの高官は、キリスト教世界の俗界の首長への礼儀として、皇帝のパレスティーナ滞在中は、モアヅィンをやめさせたと答えます。それに、笑い出した三十三歳の皇帝は、次のように言ったのでした。
「ならば、あなた方イスラム教徒がヨーロッパを訪問するときは、われわれキリスト教徒は教会の鐘をならせなくなってしまうでないか」
これに安堵したのかモアヅィンは解禁されたので、聖地にあるモスクの尖塔という尖塔から、イスラム教の祈りの時刻になるやいっせいに、モアヅィンが朗々と響き始めたのでした。ところが、モアヅィンは再開させてもそれに従う地に平伏しての祈りは遠慮していたイスラム側の高官たちは、眼前にくり広げられた光景を見てわが目を疑います。フリードリッヒが従えてきた皇帝の臣下のうちでも少なくない数の人々が、モアヅィンが響き始めるや皇帝に尻を向けるのもかまわず、メッカの方角に向かってひざをつき、ひたいを地にすりつけての祈りを捧げはじめたのです。それを見る皇帝の顔も常と変わらず、不快の影さえもない。聖地のイスラム教徒はそのときはじめて、神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒの臣下に、イスラム教を奉ずる人が少なくない事実を知ったのでした。
それまではカイロのスルタンからの厳命ゆえフリードリッヒに礼をつくしていた彼らも、このエピソードを境にそれが自主的な感情に変わります。これではフルードリッヒの聖地滞在が何の支障もなく進んだのは当然で、翌年早々、34歳の皇帝はイェルサレムの聖墳墓教会で、正式にイェルサレム王として戴冠しました。

イタリアに帰還したフルードリッヒを迎えたのも、破門解除ではなく破門の続行でした。ローマ法王からの非難は、異教徒を一人も殺さなかった十字軍は認めないというもの。この人々の考えでは、信徒の聖地巡礼の自由と安全は保障できても、それが異教徒を撃退した結果でなければ、聖地奪還を目標とする十字軍ではなく、ゆえにフリードリッヒは皇帝の責務を怠った、となるのです。

「問題解決を考える人がいないのではない。その考えの実現と続行には不可欠な、協力者が得られないだけなのです。聖地奪回を掲げた十字軍のもともとの目的は、キリスト教徒の聖地巡礼の自由と安全にあったのだから、それさえ達成されれば十字軍も目的を達したはずです。しかし、敵対状態がつづけばつづくほど、当初は手段であったものが目的と化してしまう。つまり、聖地巡礼の自由と安全の確保よりも、聖地パレスティーナに住むイスラム教徒の排除になってしまう。フルードリッヒ二世は、手段の目的化という弊害から自由であった、当時では数少ない人物であったのでしょう。いや、現代までも視界に入れれば、当時では、という言葉は、いつの時代でも、に置き換えたほうが妥当かもしれません。」

ユリウス・カエサルの言葉に、次の一文があります。
「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」
この一句を、人間性の真実をついてこれにまさる言辞はなし、と言って自作の中で紹介したのは、マキャヴェッリでした。ユリウス・カエサルは古代のローマ 人、マキャヴェッリは、それより1500年後のルネサンス時代のフィレンツェ人。カエサルの言を”再興”した中世人は、一人も存在しません。つまり、中世 の1000年間、カエサルのような考え方は、誰の注意もひかなかったということでしょう。

「ルネサンスと呼ばれる一大精神運動は、イタリアのどこで起こっても不思議ではなかったように思えますが、実際はフィレンツェからはじまっているのは、なぜですか」

強烈な批判精神は強烈な好奇心と表裏の関係にある。見習い期間というのに絵だけとか彫刻だけとかをやらされていたのでは、フィレンツェっ子は満足しなかったに違いない。そして、何でもやれねばならなかった工房という学校で学んだ後に独立し、それ以後は得意な分野で才能の花を咲かせるのが、フィレンツェの芸術家の生涯のコースだった。」

「ヴェネツィアでは、効率性を重視したから専門化したのではなく、ヴェネツィア派の絵画の台頭が、フィレンツェ派の成功を追って成されたという事情による思います。専門化とは、相当の成果があがった後ではじめて効果を発揮できるシステムだから。反対にスタート期には、分化されていない渾然一体のほうが新しいことの創造には適している。新しい考えは必ず、既成の枠からはみ出たところから生まれるものだからです。批判精神の強いフィレンツェ人だけに、既成の枠かを取り払ってしまうことへの抵抗感も、他のどの地方のイタリア人よりも薄かったのでしょう。」

イギリスの哲学者バートランド・ラッセルの著書『Wisdom of The West』に次のような一文があります。
-哲学(フィロゾフィー)は、科学(サイエンス)と同じく、誰かがごく一般的な疑問をいだいたときにはじまる。この種の好奇心を、最初に民族的な規模でもったのがギリシア人だった。現代のわれわれが知っている哲学と科学は、古代ギリシア人の創造である。ギリシア文明とはこの知的な運動の爆発であり、これほども華々しいイヴェントは歴史上に存在しない。それ以前にも、それ以後にも、このギリシアと比肩しうる知の爆発は起こらなかった。2世紀という短い期間に、ギリシア人は芸術、文学、科学、哲学の各分野にわたって、すさまじい量の傑作を作り出したのである。そしてこれらが、その後の西方文明の基礎と体系を形づくることになった。-

最後に、レオナルドが書き遺した言葉を一つ、あなたに贈りましょう。
-人間は、自分自身を支配する力よりも大きな支配力も小さな支配力も、もつことはできない存在である-
私には、この一句が、レオナルドによるルネサンス宣言に聴こえるのです。

第2部 ローマで考える

マキャヴェリは、1469年に生まれて1527年に死ぬ。ルターは、1483年生まれで没年が1546年だから、この二人は同時代人と思ってよい。そしてこの二人は、中世の指導的であったキリスト教によっても人間性はいっこうに改善されず、人間世界にはあい変らず悪がはびこっているが、それはなぜなのか、また、この現状を打開する道はどこに求めるべきか、という問題に真剣に取り組んだ点でも同じであったのです。
そこでイタリア人のマキャヴェリは、次のように考える。
一千年以上もの長きにわたって指導理念であり続けたキリスト教によっても人間性は改善されなかったのだから、不変であるのが人間性と考えるべきである、ゆえに改善の道も、人間のあるべき姿ではなく、現にある姿を直視したところに切り開かれてこそ効果も期待できる、と。
一方、ドイツ人のルターの考えは、簡単にまとめれば次のようになります。
一千年余りのキリスト教社会が人間性の改善に役立たなかったのは、キリスト(つまり神)と信徒の間に聖職者階級が介在したからであり、キリストの教えが人間性の改善に役立たなかったのではなく、堕落した聖職者階級が介在したがために役立てなかったのだ、それゆえに改善の道も、聖職者階級を撤廃し、神と人間が直接に対し合うところに求められるべきである、と。
カトリック教会とは、ローマ法王を頂点として枢機卿、大司教、司教、司祭、修道士からなる聖職者階級が、神と信徒の間に介在する組織です。経典(つまり聖書)を信徒に説き教えるのが、聖職者階級の存在理由であり、ルターの提唱したプロテスタンティズムとは、この種のフィルターは不必要としたところに特質があった。
ほんとうのところは、神は何も言わない。神が何か言ったとは、信者がそう思ったからに、すぎない。宗教のプロである聖職者階級が間に介在していればフィルターを通すか通さないかを適当に判断するから、信者が神の声を聴いたなどというような事態は起こりえない。ところが、フィルターなしだとそれが起こりやすい。神と信者が直接に対し合うということは、信者の想いはイコール神の想い、になりやすいからです。
十字軍とはそもそも、人口が増加したヨーロッパに増えた人口を養っていく余地がなく、食べていけなくなった人々が武器を手にどっとパレスティーナにくり出したのが発端ですが、単なる難民では意気が上がらない。このような場合は必ず理論武装が求められるもので、宗教はこのようなことにはすこぶる適しているときている。ヨーロッパの難民はそれを、聖地奪回に求めたのです。キリスト教の聖地を異教徒イスラムの手から奪回するのは神が求めていることであり、その神の意に従うのがキリスト教徒のつとめである、と。この十字軍のスローガンは、「神がそれを望んでおられる」であったのでした。聖職者階級が介在してさえ、このようなことは過去に起こった。それさえも介在しなくなったら、信者の想いはイコール神の想い、はそれこそ放任状態になる。マキャヴェリは、悪を廃絶した後に生じるより危険度の高い大悪よりも、許容限度の悪ならば残すことによって大悪を阻止するほうを選んだのです。

ルネサンス時代の知識人の教会批判は激烈ですが、聖職者階級の批判はしてもその廃絶は唱えていない。この人々が、ルターより穏健であったのではないのです。ルターに比べればこの人々は、人間の善意なるものに全幅の信頼を置くことができなかっただけなのです。マキャヴェリは、これこそが人間性の真実であるとして、ユリウス・カエサルの次の言葉を引用しています。
-どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそものきっかけは立派なものであった-
動機がよければすべて良し、で突き進んだ人々が起こしたのが宗教改革ではなかったか、と私は思っています。

 

“読書 塩野 七生 著 『ルネサンスとは何であったのか』 新潮文庫” への1件の返信

  1. お誕生日、おめでとうございます。

    今年もお祝いの言葉を真利さんに伝えることができ、嬉しい気持ちで

    いっぱいです。

    ずっと迷惑ばかりかけてしまっている私ですが、これからもずっと

    一緒にいてくださいね。

    本を真剣に読んでいる顔、仕事のことを話している顔、眠そうな顔

    美味しく食べている顔、悩んでいる顔、どの顔も素敵です。

    これからも明るく楽しく健康にそして仲良くいきましょう!

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