福岡 伸一 『動的平衡』を読む。
生体を構成している分子はすべて高速で分解され食物として摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作りかえられ、更新され続けているのである。
だから私たちの身体の分子的実体としては、数か月前の自分とは全く別物になっている。分子は環境からやってきて、一時淀みとして私たちを作り出し次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。
シェーン・ハイマー
「生命の特異的なありようを「ダイナミック・ステイト(動的な状態)」と表現した。
福岡 伸一
「生命とは、動的平衡にあるシステムである。」
可変的でサスティナブルを特徴とする生命というシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」であるということだ。生命現象とは「構造」ではなく「効果」なのである。
サスティナブルなものは常に動いている。その動きは「流れ」もしくは環境との循環の輪に中にある。サスティナブルは、流れながらも環境との間に一定の動的平衡状態を保っている。サスティナブルであることは、何か物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではないことがおのずと知れる。
サスティナブルなものは一見不変のように見えて実は常に動きながら平衡を保ちかつわずかながら変化し続けている。その軌跡と運動のあり方をずっと後にになって「進化」と呼べることに私たちが気づくのだ。
「エントロピー増大の法則」
時間を戻すこと、つまり自然界の事物の流れを逆転することは決してできないという事実。
「生命の準備」
エントロピー増大の法則に先回りして、自らを壊しそして再構築するという自転車操業的なあり方、つまり「動的平衡」という準備をした。
しかし、長い間、「エントロピー増大の法則」と追いかけっこしているうちに少しずつ分子レベルで損傷が蓄積し、やがてエントロピー増大に追い抜かれてしまう。つまり、秩序が保てない時が必ず来る。それが個体の死である。
ただ、その時には、既に自転車操業は次の世代にバトンタッチされ全体としての生命は続く。
個体が死ぬというのは、本質的には利他的なあり方である。致命的な秩序の崩壊が起きる前に秩序は別の個体に移行しリセットされる。
「生きている」とは、「動的平衡」によって「エントロピー増大の法則」と折り合いをつけていることであり、換言すれば、時間の流れにいたずらに抗するのではなく、それを受け入れながら共存する方法を採用している。