丸山 真男 著 『日本の思想』 を読む
伝統思想がいかに日本の近代化、あるいは現代化と共に影がうすくなったとしても、私達の生活感情や意識の奥底に深く潜入している。近代日本人の意識や発想がハイカラな外装のかげにどんなに深く無常観や「もののあわれ」や固有信仰の幽冥観や儒教的倫理やによって規定されているかは、すでに多くの文学者や歴史家によって指摘されてきた。むしろ過去は自覚的に対象化されて現在のなかに「止揚」されないからこそ、それはいわば背後から現在のなかにすべりこむのである。思想が伝統として蓄積されないということと、「伝統」思想のズルズルべったりの無関連な潜入とは実は同じことの両面にすぎない。一定の時間的順序で入ってきたいろいろな思想が、ただ精神の内面における空間的配置をかえるだけでいわば無時間的に併存する傾向をもつことによって、却ってそれらは歴史的な構造性を失ってしまう。小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。
日本社会あるいは個人の内面生活における「伝統」への思想的復帰は、いってみれば、人間がびっくりした時に長く使用しない国訛りが急に口から飛び出すような形でしばしばおこなわれる。その一秒前まで普通に使っていた言葉とまったく内的な関連なしに、突如として「噴出」するのである。
「神道」はいわば縦にのっぺらぼうにのびた布筒のように、その時代時代に有力な宗教と「習合」してその教義内容を埋めてきた。この神道の「無限抱擁」性と思想的雑居性が、さきに述べた日本の思想的「伝統」を集約的に表現している。絶対者がなく独自な仕方で世界を論理的規範的に整序する「道」が形成されたことがなかったからこそ、それば外来イデオロギーの感染にたいして無装備だったのであり、国学が試みた「布筒」の中味を清掃する作業-漢意(からごころ)、仏意(ほとけごごろ)の排除-はこの分かちがたい両契機のうち前者(「道」のないこと)を賞揚して後者(思想的感染性)を慨嘆するという矛盾に必然当面せざるをえない。
「国體」の創出
伊藤博文は日本の近代国家としての本建築を開始するに当たって、まずわが国のこれまでの「伝統的」宗教がその内面的「機軸」として作用するような意味での伝統を形成していないという現実をハッキリと承認してかかった。
「我が国に在りて機軸とすべきは、独り皇室あるのみ」
「将来如何の事変に遭遇するも、・・上元首の位を保ち、決して主権の民衆に移らざる」ための政治的保障に加えて、ヨーロッパ文化千年にわたる「機軸」をなしてきたキリスト教の精神的代用品をも兼ねるという巨大な使命が託されたわけである。
天皇制が近代日本の思想的「機軸」として負った役割は単にいわゆる国體観念の教化と浸透という面に尽くされるのではない。それは政治構造としても、また経済・交通・教育・文化を包含する社会体制としても、機構的側面を欠くことができない。
「天皇制における無責任の体系」
明治憲法において「殆ど他の諸国の憲法には類例を見ない」大権中心主義や皇室自律主義をとりながら、元老・重臣などの超憲法的存在の媒介によらないでは国家意思が一元化されないような体制が作られたことも、決断主体(責任の帰属)を明確化することを避け、「もちつもたれつ」の曖昧な行為連関(神輿担ぎに象徴される)を好む行動様式が冥々に作用している。「輔弼」とはつまるところ、統治の唯一の正統性の源泉である天皇の意思を推しはかると同時に天皇への助言を通じてその意思に具体的内容を与えることにほかならない。
「おわりに」
私達の伝統的宗教がいずれも新たな時代に流入したイデオロギーに思想的な対決し、その対決を通じて伝統を自覚的に再生させるような役割を果たしえず、そのために新思想をつぎつぎに無秩序に埋積され、近代日本人の精神的雑居性がいよいよ甚だしくなった。日本の近代天皇制はまさに権力の核心を同時に精神的「機軸」としてこの事態に対処しようとしたが、国體が雑居性の「伝統」自体を自らの実体としたために、それは私たちの思想を実質的に整序する原理としてではなく、むしろ、否定的な同質化(異端の排除)作用の面でだけ強力に働き、人格的主体-自由な認識主体の意味でも、倫理的な責任主体の意味でも、また秩序形成の主体の意味でも-の確立にとって決定的な桎梏となる運命をはじめから内包していた。