読書 『「知」の十字路』 明治学院大学 国際付属研究所 公開セミナー(3)

”知の十字路”
知の十字路

明治学院大学 国際学部付属研究所 公開セミナー(4)『「知」の十字路』河出書房新社 を読む

「歴史の尻尾を手繰り寄せる」 佐野眞一 x 原武史

近代の皇后の存在感
明治、大正、昭和、平成と四代の皇后を通してみると、非常に目を引くのは、貞明皇后(大正天皇の奥さん、昭和天皇の母親)、それから今の美智子皇后です。このふたりの存在感はやはり際立っている。

近代天皇制における天皇、皇后のあり方を平べったい言葉で言いますと、「夫婦共働き」ですよね。それが連綿と続いてきて、そのピークが現在だと思います。美智子さんは巨大な存在でしょう。明治から近代天皇制で重要人物を3人挙げろと言われたら、まず明治天皇、それから、悲劇やあの孤独感も含めて昭和天皇でしょう。そして3人目が、現天皇には申し訳ありませんけれども、美智子さんでしょうね。美智子さんは「神事をおろそかにしてはならない」という貞明皇后の教えを守っている訳ではないでしょうけれども、一心不乱に神事を行っている。以前、彼女の故郷の館林に美智子さんが表敬訪問にいらした際に会ったのですが、驚いたことに、彼女の眼差しが、ひとりひとりを的確に捉えているんです。少なくとも私は「見られたな」という意識を持ちました。ひとりひとりが「見られている」とい感じる眼差しです。それは単に眼差しの強さというつまらないことではなく、「ああ、この瞳の中に入っちゃったんだな」という意識を持ちました。よく知られているように、天皇・皇后は沖縄戦の終わった日、日本の敗戦、それから広島、長崎に原爆が投下された日の四日は、すべて休んでただ祈るわけですよね。それを率先しているのは、美智子皇后だと思います。
さて、平成論になると、次の天皇になる方のお妃問題に触れざるを得ない。そうするとやはり、近代天皇制は、そろそろ耐用年数が切れつつあるというのが私の認識です。近代天皇制は、最大の危機を迎えていると思います。
昭和天皇の次の代に結婚した美智子さんは、皇族ではなく庶民からでた方ですけれども、そういう非常にわかりやすく言えばシンデレラ・ストーリーのような形で、ちょうど日本が高度経済成長という波に乗っている時代に皇室にはいった。ところが、昭和天皇っていうのは良くも悪くもたいへん長生きをしてしまったため、現天皇の皇太子時代が非常に長かった。それは皇太子妃美智子さんの妃としての生活が長すぎたことで、矛盾がいっぺんに押し寄せてきているように感じるのです。

少なくとも日本人は、天皇制に代わる新しい制度を編み出すほど独創的な民族ではないと思っています。

美智子皇后は、危機的な状況になればなるほど、輝きを増していきます。それは今だけを見れば確かにいいことのように見えます。しかし、「次は、どうなるんだ」という見方がされるようになる。つまり、皇位の継承という点から長い目で見たときに、美智子さんの行動が皇室の危機を深化させていると思えてくる。

美智子さんというのは、もう出てこないであろうスーパースター、出来すぎの女性です。これは美智子さんの責任ではありません。

私は美智子さんのことを、ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」という有名な絵を見るようだと感じてしまう。彼女は出来すぎますから、自分の息子まで食べている感じを受ける。これは天皇制にまつわる宿命です。凡庸では危機は乗り切れませんから困るわけです。

ただし、天皇制はというのは新しい時代になれば違う天皇制を編み出していかなければならない。昭和天皇は昭和天皇流の編みだし方を、現天皇と美智子さんは、祈りという形で行っている。では、次期天皇がライフワークとするものが無くなっている。象徴的にいえば、昭和天皇は稲の天皇だった。現天皇、皇后は、エコロジー、平べったい言葉で言えば「縁」というところに依っています。そういう大きな構想力の中のメタファーまで手をつけられると次のテーマ
がないと思ってしまう。本当に難しい局面にきています。

「なぜ学ばなければならないのか」 佐藤 優 x 原 武史

総合大学とはなにか
大学で学べる学問を簡単に挙げてみますと、文学、哲学、法学、政治学、工学、理学などがありますが、これらはすべて実学であり、現実のどこかに役立つものです。また、論理や作品の形で示すことができます。ヨーロッパでは、この実学だけしか学べべない大学は総合大学と言わず、Polytechnique(ポリテクニーク)やCollege(カッレジ)と言います。なぜなら、神学部がないからです。
ヨーロッパにおいて総合大学といわれる場合には必ず神学部があります。神学は、虚学です。数学の背景にも、哲学の前提にも、歴史学の前提にも神学はあるし、音楽や体育にも、それを基礎づける神学があるのです。神学とは表にある様々な学問の裏側についている学問と言えるでしょう。そして虚の物と実の物を合わせたものが総合知であり、それらを学べる大学を総合大学と呼ぶ考えなんです。

中世の大学は何年制だったと思いますか?大学に入学するのが。12歳から16歳くらいです。一般教養を11年間やった後、法学部と医学部と神学部に分かれます。修業期間がもっとも短いのが医学部で、専門課程がだいたい5,6年でした。法学部で8年から10年くらい。神学部は、約16年です。ですから、神学部出身者は、大学に27年間いるということになります。大学入試はなく、大学の先生の弟子になるんです。入学しての卒業率は、約5%です。95%が途中で退学してしまう。
この中世において、「博識に対抗する総合知」という考え方がありました。専門知識をいくら知っていても、今で言うところの「オタク」扱いしかされません。それに対して、知識の量はほどほどにしかなくても、その知識をどう扱えばほかの分野の知識と連動させることができ、人間が生きていく上で役にたつかを知っていることを、中世の人たちは総合知と言ったんです。

民族と国家
「民族ができる」ということは、一定の教育を受けた労働者を作ることと同じなんです。産業転換の構造に合った形で、どんな労働にも就ける人を作らねばならないという要請の中で、民族が作られていく。その民族の構成員はは、均質で平等です。そうなったときに、「敵のイメージ」が重要になってくる。
「チェコ人」ができるいときにはドイツ人が「敵のイメージ」です。「ポーランド人」ができるときはロシア人が。「アイルランド人」は、イギリス人が。「フランス人」は、イギリス人とドイツ人が。「ドイツ人」は、フランス人が。どうしてフランスとドイツはお互いに「敵のイメージ」になるのでしょう。それは、戦争を繰り返す中で、自分たちが負けたときにの記憶-「我々はこけにされた」「ひどい目に遭わされた」といった記憶を結びつけていって、「私たちをよくもひどいめに合わせたな」という負の連帯意識を持つようななるからです。民族はこうしてできあがっていく。

見えない「関係」を見抜く
今、中国では、負の連帯意識によって、中華帝国時代の「漢人」とは異なる「中国人」という近代的な民族が作られています。このとき、我々日本人が「敵のイメージ」にされてしまっているため、日本と中国は、国家という位相では、ぜったいに仲良くならないことを前提として、お互いに関係を組み立てないといけない。国民国家形成のプロセスにおいて、日本人は中国人を「敵のイメージ」にしませんでした。このような非対称性うぃわれわれの努力で崩すことはできません。
ところが、この「敵のイメージ」をつくる課程において、中国は、チベット、ウィグルとの間での民族問題という深刻な問題を抱えています。
民族自決権を行使して、チベットがが独立するという、ナショナリズムを煽れば中国自身にブーメランで返ってくる事柄です。

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