島本 慈子 著 『住宅喪失』 を読む。

はじめに
私が前に住まいの問題を取材したのは、6年前(1998年)のことになる。それは阪神・淡路大震災によって「家が壊れて住宅ローンが残った」という人たちを追跡取材したルポで『倒壊-大震災で住宅ローンはどうなったか』として出版された。私がその取材を通じて感じたことは、戦後一貫して展開されてきた持ち家政策のゆがみである。個人が住宅ローンを組んで家を買うことは、それぞれの家族の幸せということを超えて、国家の重要な景気浮揚策として位置づけられ、そのことが個人に過大な重荷を背負わせていた。その矛盾を一瞬にしてあぶりだしたのが、阪神・淡路大震災だった。
それから私は労働問題に取り組み、『子会社は叫ぶ』『ルポ解雇』と続けて本を書いた。その取材を通して目の当たりにしたものは、日本の長期雇用が崩壊していくなまなましい実態である。
住宅と、労働と・・・・。この二つの異なる取材を通して、私は大きな疑問を抱くことになった。返済が長期にわたる住宅ローンは、長期にわたって安定した雇用が前提である。その長期雇用が破壊されるということは、つまり、日本の政治は「持ち家政策を捨てた」ということなのだろうか?
この疑問をとくために本書の取材をはじめ、そして私は、わずか6年で国の針路が極端に変わっているという事実に驚愕することになった。
あえて簡単にいおう。98年当時の日本は、「みんなが家を買うことで、国の景気をよくしましょう」という政策をとっていた。現在の日本は、雇用の流動化を進め、国民の間に貧富の差を拡大し、「家を買える人にはどんどん買ってもらい、買えない人には”家賃を払う存在”として経済に貢献してもらいましょう」という政策をとっている。
かつての持ち家政策が良かったとは言わない。しかし、少なくともそこに「弱者切り捨て」の発想はなかった。けれどいまは、恥じることなく公然と、弱いものを利用するだけ利用して強いものがさらに強くなるという「弱肉強食」の論理が語られる。
ただ、かつてもいまも共通していることはあり、それは何につけても経済が優先という思想である。国民の居住権は、この国の住宅政策において真摯に検討されたことがない。
労働においても住宅においても、日本の政策はアメリカうぃお手本とし、アメリカを追いかけている。
そのアメリカでは、1980年代にホームレスが急増し、人々に大きな衝撃を与えた。しかしその後、ホームレスは減ることなく高止まりの様相を見せ、最初はショックを受けた人々もいつしか慣れてしまい、90年代には「同情疲れ」といった空気が流れはじめたという。
日本も10年遅れでそうなるのではないかと、私は危惧している。
第1章 「人が住まいをうしなうとき」
人が住まいを失う理由
大阪弁護士会・木村達也弁護士はいう。「住宅ローンの破綻の理由は、確実に給与の減額、リストラです。残業代も含めた給与でローンを組んだけれど、サービス残業が増えて残業代が出ない。また、ボーナス時の支払いを見込んでいたのに、ボーナスが出ない。あるいは、リストラ解雇で失業してしまったというケース。自己破産にいたる人たちの借金は、住宅ローンだけではありません。みんな無理をしてでも家のローンだけは払う。家のローンを支払うために、クレジットやサラ金から借金して多重債務に陥る、というケースがほとんどです」
ローン破綻に陥ってマイホームを失う。失った人たちはどこへ行くのか?
木村達也弁護士は驚くべき事実を指摘する。
「家を手放すと賃貸へ移ることになるんですが、賃貸に入居するには権利金とか保証金とかがいるでしょう。50万とかへたすれば80万とか必要になったりする。その資金がない。ですから頭金が要らないような、あるいは少なくてすむような賃貸へ身を移す。
難しいのは資金面だけでなく、現実の問題として、破産者が賃貸住宅に入居することは厳しい、難しいです。家主はきちんと家賃を払ってもらいたいですから、破産した人は住まわせたくない。ですから仲介の不動産業者にチェックをいれさせる。破産すると氏名・住所が官報に載りますよね。名簿業者がそれをピックアップして名簿を作り、不動産業者に売っているのではないかと思います。つまり、家主にとっての不良顧客名簿が出回っているのではないか。」
第3章 住宅ローンの新たな戦略
人がマイホームを求める理由
マイホームを求める。その思いは高額所得者より庶民にとって切実なものがある。
どうしてマイホームがほしいのか。
私がかつて取材した20代の女性は、家を買った理由を「私にとって持ち家は精神的な保険でした」と言った。そして「保険」の意味をこう説明してくれた。「30年後の家賃がどれだけ高騰しているか、考えたら恐ろしいじゃないですか。私たちの世代は年金なんかほとんどもらえないっていうし、食べていけないで死んでいくのかっていうことが、すごくこわかった。でも、持ち家があれば追い出される心配はない。家賃も要らなくて、必要なのは食べていく経費だけ。それなら、わずかな年金でもやっていけるかなって」
貯金が数億円あるなら誰も老後の心配なんかしない。高額所得者でないから、居住の安定を切実に求める。また、最近は、雇用の流動化が進んでいるからこそ、せめて「誰からも出て行けと言われないマイホーム」を持ちたいという願いもあるだろう。
第4章 マンションを追われて
ローンが終われば借家人
民主党・井上和雄議員「400万戸マンションがある。そして10年後には、築30年以上を経過したマンションは約100万戸。そこでちょっと数十年昔に戻って、昭和40年代、30歳くらいのサラリーマンが、価格的には年収の5倍以上、そしてほとんどの方が30年から35年の住宅金融公庫のローンを組んで購入していると思うのです。そして、ローンの支払いにずっと追われながら、やっとローンを支払うことができた。
ところが建て替えなきゃいかぬ。またお金がかかる、ローンを組んで借金する。そうしたら、もう年金の中から死ぬまで返済を続けていかなきゃいけない。人生設計、もう一回、一からやり直し。これは、私はもう、人生の悲劇としかいえないと思うのです。」
さらに「人生設計をもう一回やり直しなんて無理だ」という人も出てくる。その人たちは、自分のマンションがなくなったら、どこへ住むのか?
それにしても「ローンが終われば借家人」の運命が待っているとは・・・・。
泣き叫んでも追い出すことができる
マンションの建て替え要件は五分の四の多数決だけとし、多数決をとるための前提条件はいらない。この区分所有法の改正は、2002年12月4日、国会の多数決で成立する。
こうして大震災の被災マンションで起きた裁判は、全国津々浦々のマンションへと波及していくことになった。
居住利益から経済利益へ
最高裁が出した決定の文書は簡素なものだった。事件の内容には一切踏み込んでおらず、ただ「上告する理由には当たらない」として、上告を門前払いにしている。
補修派住民の代理人の湖海信成弁護士は語る。
「最高裁がここまで引っ張った(2年9か月)のは、区分所有法の改正をにらんでいたと、それしか考えられないですね。一審も二審も不十分ですから、まともに判断しようとすると大変な時間がかかる。かといって早くしようとすると、一審二審をそのまま受けることになり、それにはやはり疑問もある。る。法律が多数決だけでいいと変われば、それは一審二審の判決と同じことだから、もういいのではないか、と。法律自体が変わったのだから、市民の代表である国会がそう決めたということは、市民が決めたということだから、国会の結論を最高裁が追認した、と。そういうことだろうと思います。
マンションというものは、経済的な側面を重視するのか、そこに住むという立場で見るのか、それによって判断が変わると思います。経済的に見れば多数の意思が支配するでしょうが、生活の場として考えるなら少数者も守ってあげないといけない。
また、以前の建て替えは、第62条で同一の使用目的のために建て替えると定められていたのですが、今回の改正でその制限も消えました。極端なことをいうと居住用マンションを商業ビルに建て替えることもできる。経済的な側面が重視されることになった表れでしょう。そういうことで本当にいいのかなと、僕は疑問に感じていますけれど」
六甲グランドパレス高羽の原告団のなかには高名な法学者がいた。民法学者の西原道雄さん(神戸大学名誉教授)である。
西原さんは裁判所へ提出した意見書をもとに、「過分の費用が争点だったこと」を丁寧に説明してくださった。
西原さんは意見書にこう書いている。
「建て替えは、全員一致の大原則に対する重大な例外であるから、復旧費用の過分性等の客観的要件を慎重に検討すべきことはいうまでもないが、同時に、多数 者の決定による少数者排除が不当な権利侵害をもたらさないように配慮する必要が大きい。特に、居住利益の保護は無視されるえきではない。建設資金等を負担 できないために建て替えに参加できない少数者の中に、高齢者や経済的弱者が多いことは、すでに各方面からしばしば指摘されている通りである。これら『弱 者』が現に居住している住居から事実上追い出され、従来と同程度の居住を確保できないような結果になる場合には、全員一致原則を破っての多数決による建物 の解体・建て替えは絶対に許されない。」