読書 島田 裕己 『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』

島田 裕己 著 『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』を読む。

”浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか”
浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか

仏教には、「法華信仰・密教・浄土教信仰・禅」という4つの流れがある。

<法華信仰>
大乗仏典の一つである『法華経』に対する信仰に発している。中国で天台宗を開いた天台智顗は、釈迦の教えを整理して、仏典がどのような順番に成立してきたかを明らかにする「教相判釈」の作業を行い、『法華経』を最高位と位置づけた。そのことが法華信仰の成立に大きく影響した。智顗は、大乗仏教以前の「部派仏教(小乗仏教)」の段階では、修行を経た人間だけが悟りを開いて仏になれると説かれたのに対して、『法華経』では、誰でもが仏になれると説かれている点を強調した。

この天台の教えを日本に最初に伝えたのが最澄になる。(法華経信仰は、飛鳥時代の聖徳太子『法華義疏』(『法華経』の解説書)に遡る。)
法華信仰において『法華経』が最高位の仏典に位置づけられ、「諸経の王」とも評されたことから、『法華経』の経巻自体に対する信仰も生まれる。(厳島神社の「平家納経」)

<密教>
インドにおける大乗仏教の発展のなかで、仏教信仰が土着のヒンデゥー教と習合したことから生まれた。密教は神秘的な力を駆使するところに特徴があり、護摩を焚くなどさまざまな儀礼、「修法」が開拓された。密教の立場からすれば、他の大乗仏教の教えは、「顕教」としてとらえられる。

<浄土信仰>
来世信仰の一種で、死後に西方浄土に生まれ変わることを願うものである。浄土というとらえ方は、インドの仏教にはないもので、中国から日本に伝えられた。
インドでは、輪廻の繰り返しによって苦がもたらせることを強調し、生まれ変わりを肯定しない。

<禅>
さまざまな宗教で実践される瞑想の一種で、直接にはインド出身の僧侶、達磨に遡るが、智顗の著作『摩訶止観』の影響も大きい。禅の受容が限定的なものになったのは、座禅という実践を必要とするからである。禅は、他の3つの流れとは異なり、現世利益や浄土への往生という実利的な効果をもたらすものではない。むしろ精神的な安定や生活規範として機能するもので、鎌倉時代以降の武家に好まれた。

<神仏習合>
神仏習合は、土着の神道と外来の仏教とが、お互いに異なる役割を果たしながら融合し、習合していった現象のことをさす。
それは、他の宗教においても見られる「シンクレティズム(諸経混淆)」の日本的なあらわれだが、神道と仏教が独自性を保持した点に特徴がある。
東大寺の大仏建立される際に、宇佐八幡宮の八幡神が勧請された。(手向山八幡宮)
興福寺(藤原氏の氏寺)は、春日大社(氏神)と密接な関係をもってきた。

<本地垂迹説>
日本の神々は実は仏教の仏がその姿を地上にあらわしたものだとするのが、神仏習合の現象を理論化した。
(興福寺の仏=春日大社の祭神の本地仏)

<廃仏毀釈>
日本固有の神道の純粋性を強調する国学者(平田篤胤)や神道家が、神道の世界から仏教的なものを一掃しようとする動き(神仏分離)が具体化した。仏教そのものを排斥しようとする過激な「廃仏毀釈」の嵐にさらされることになる。

<天台宗>
「日本人の無宗教標榜の根底にある『天台本覚論』」
自然に存在する草木でさえ成仏できるという「草木成仏」の考え方がある。高僧の良源に仮託された『草木発心修行成仏記』という短い文章で、植物が芽生え、成長し、やがて花や実をつけて枯れていくまでの過程が、仏道修行び過程と重ねあわされ、さらには草木はそのままで成仏していると説かれた。
本来仏教は、開祖である釈迦が家庭を捨て、世俗の生活を離れて出家したように、むしろ現実の価値を否定する「現世拒否」の姿勢を特徴としている。
ところが、草木成仏の考え方に代表される天台本覚論は、現世を全面的に肯定する思想であり、その点で本来の仏教の教えとは対極に位置するものだが、日本ではむしろこちらの考え方の方が広く受け入れられたのだった。
ただ、あらゆるものがそのまま成仏しているということであるなら、改めて仏道修行をする必要もなければ、戒律も必要もなく、さらに仏教の教えそのものさえ意味をなさないことになってしまう。それは無条件に現実を肯定することで、宗教そのものの存在意義を否定すること結びついていく。

<真言宗>
真言密教の第一人者 青龍寺 恵果は、空海を一目見て、笑みを浮かべて喜び、「我、先より汝が来ることを知りて、相待つこと久し。今日相見ること大いに好し、大いに好し。報命つきなんと欲するに付法に人なし。必ず須らく速やかに香花を弁じて、灌頂壇に入るべし」と述べたとされる。法を伝えるに値する人間が周囲にいなかったので、恵果は空海があらわれるのを待ち望んでいたというのである。空海は、この恵果から胎蔵界と金剛界の灌頂を受け、さらには伝法灌頂を受けて、阿闍梨の位を授けられる。あわせて密教関係の経典や仏像、法具などを調達し、それを日本にもたらすことに成功する。空海によって初めて密教は体系化された形で日本に伝えられることとなった。

<浄土宗>
法然の教えは、かなり斬新なものであった。「南無阿弥陀仏」の念仏さえ唱えれば極楽往生がかなうと説いたからである。
法然は、一般の仏道修行を「聖道門」と呼び、それをもっぱら念仏によって往生を果たす「浄土門」と対比させた。聖道門が、誰もが簡単に実践することができない「難行」であるのに対して、浄土門は、誰もが実践できる「易行」である。要するに法然の教えは、出家得度して、長い時間をかけて修行を行わなくとも、誰もが簡単に念仏さえ唱えれば悟りを開き、往生できると説くものだった。

<浄土真宗>
『歎異抄』は、親鸞の死後に、弟子の唯円が、親鸞のことばとして書き記したもので、本人が直接に筆をとったものではない。しかも唯円は、自分と異なる形で親鸞の教えを理解しようとする人間たちを批判するために『歎異抄』を編纂した。
『歎異抄』の中で語られた「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人おや」の「悪人正機説」が親鸞の思想の核心とされる。

<禅宗>
禅は瞑想法の一種であり、インドから中国に伝わった。
中国各地に禅の修行を行うための禅院が次々と建てられていき、南宋の時代には、禅家五家(潙仰、臨済、曹洞、雲門、法眼)が成立し、江南の丘陵地帯や山麓地帯にあった禅宗の大規模寺院が「五山」に定められた。
<臨済宗>
常に戦闘に従事し、死と隣り合わせの武家にとって、死の覚悟をしながらの修行にいそしむことを説く禅は、相性の良いものであった。
南都六宗や天台、真言両宗は、朝廷や公家と密接な関係をもち、そうした階層出身の僧侶でなければ、出世がかなわず、武家出身の僧侶は禅宗に行くしかなく、禅宗と武家とが密接な関係を結ぶ要因となった。
禅が武家に受容され、大規模な禅寺が建立されることで、鎌倉末期には、南宋の五山をモデルとした五山の制度がつくられていく。

足利義満の時代には、南禅寺を別格として、京都五山、鎌倉五山が確立される。
京都五山:天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺
鎌倉五山:建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺

<曹洞宗>
僧侶は、必ず剃髪し、墨染めの衣を身にまとう。
強い影響を受けた中国の『禅苑清規』には、悟りを開いて亡くなった僧侶くための「尊宿葬儀法」と、まだ修行段階にありながら亡くなった雲水のための「亡僧葬儀法」の2つの葬儀のやり方が示されていた。
後者が一般信徒の葬儀に応用された。もともと雲水のための葬儀の方法であったために、そこには剃髪して出家したことにし、その上で戒律うぃ授け、さらに戒名を授ける部分が含まれている。つまり、死者をいったん僧侶にするわけである。死後に出家するというのは、仏教の伝統的な考え方からはずれるが、この方法は定着し、曹洞宗以外の他の宗にも伝わっていく。その点で「葬式仏教」の生みの親ということになる。

<日蓮宗>
「南無妙法蓮華経」の題目を唱えれば、現世において利益がもたらされるという信仰が京都の町衆のこころをつかんだ。

 

 

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