読書 竹森 俊平 『1997年-世界を変えた金融危機』

読書 竹森 俊平 著 『1997年-世界を変えた金融危機』を読む。

”1997年- 世界を変えた金融危機”
1997年- 世界を変えた金融危機

第2章 危機を読み解く~「ナイトの不確実性」というブラックホール
グリーンスパン議長は、ナイトのオリジナルな議論を忠実に紹介している。つまり、経済における不確実性には、「その確率分布を推測できる不確実性(これをナイトは「リスク」と呼ぶ)」と、「その確率分布を推測することが不可能な不確実性(これをナイトは「真の不確実性」と呼ぶ)」という二種類がある。
ナイトはその区分を自分の理論の出発点とした。

2 ナイトの原議論
なぜ「利潤」がうまれるのか
フランク・ナイトは、シカゴ大学で45年にもわたって教鞭をとった名物教授であった。大学教授に「変わり者」は少なくないが、彼はその中でも傑出していた。

名著として知られる『リスク、不確実性およぶ利潤』をナイトはコーネル大学での博士論文として完成させた。ナイトがここで解明したかったのは、競争的な経済において、なぜ「利潤」が存在するかという点であった。

そもそも、市場という場所で買い手(たとえば消費者)と、売り手(たとえば企業)の間には対立関係がある。企業は消費者にたくさん支払わせて、利潤を最大にしようとする。消費者は企業に最小限を支払って、満足を最大にしようとする。この両者の利害の対立は、「価格メカニズム」によって調整される。価格がうまく調整されれば、最終的には、(1)消費者はその価格を見て買いたいだけ買い(満足の最大化)、(2)企業はその価格を見て売りたいだけ売り(利潤の最大化)、しかも(3)企業による商品の供給と、消費者による商品の需要とが一致する(需給均衡)。
これが経済的な安定(均衡)である。企業同士が熾烈な価格競争を行えば商品価格が下がり、最終的には賃金、地代、原材料費、などを含めた生産コストを超過した企業の取り分である「利潤」は消滅する。

「リスク」と「真の不確実性」
将来に見込まれる収入を目指す企業は、外れるかもしれない予測、つまり不確実性のもとで行動しなければならない。しかし、不確実性には二つのタイプがあり、そのうちひとつのタイプだけが「利潤」を生む要因となる。
二つのタイプのうち、第一のタイプは、それが起きる可能性についての「確率分布」を思い描けるものだ。ナイトは、これを「リスク」と呼ぶ。
他方で第二のタイプは、それが起こる「確率分布」を思い描けないものである。ナイトはこれを「真の不確実性」もしくは「不確実性」という。

「サイコロの目」、「自動車事故」は、確率分布を想定できる事象である。そのようなタイプの不確実性が「リスク」である。不確実性が「リスク」であるためには、「確率分布」について理論的な推測が可能か、類似した現象が過去に数多く発生しており、データからの統計的推測が可能でなければならない。ナイトに言わせれば、「リスク」には、それをカバーするビジネスが成り立つという性格がある。たとえば自動車保険を売り出す損害保険会社は、過去の統計により自動車事故の一般的確率を予測する。その予測をもとに多数の自動車オーナーと保険契約を結び、「大数の法則」を働かせる。そうやって、保険の支払いをその一般的確率に基づいた金額の近くに収められるので、保険ビジネスが成り立つ。
「リスク」というのは、このように経済にとってさほど問題にならない不確実性である。しかし、経済にとって厄介な問題を生じる不確実性もある。
確率分布を想定できないタイプの不確実性、すなわち「真の不確実性」もしくは「不確実性である」。
サイコロのように理論的に確率を推測できるわけでもなく、そうかといって類似した事象が過去に数多く発生したこともない事象の場合、確率分布を想定できない。

企業家が「利潤を手に入れる」
「利潤」の要因という点について。「リスク」と「不確実性」は異なる。つまり、「リスク」は「利潤」の要因とはならないが、「不確実性」は「利潤」の要因となりえる。
これが著書『リスク、不確実性および利潤』の一番重要な主張である。
生産活動に伴う「リスク」については保険による回避が可能で、保険料は賃金や地代と同じように生産コストの一部として看做すことができる。製品価格を生産コストまで引き下げ、利潤を消滅させるという競争の原理をここで再び当てはめるならば、不確実性のタイプとして「リスク」だけが存在する世界で競争によって利潤はやはり消滅するはずだ。それにもかかわらず、「利潤」が存在するのは、「真の不確実性」があるためである。
「企業家」という特別なタイプの人種のもっとも本質的な行動は、「新しいこと」への挑戦である。「新しいこと」、過去に類例がないことに企業家は挑戦する。「不確実性」と真正面から対決するのである。そして「不確実性」と対決する報酬として、企業家は「利潤」を手に入れる。
結局のところ、「利潤」が社会にとってもつ意味はこれである。それは生産活動の上で避けられない「不確実性」を、企業家が引き受けることに対する報酬なのである。確率の計算ができる「リスク」以外の「不確実性」に遭遇しないで済む安全な生産活動や事業はありえない。それゆえ、「利潤」を求めて「不確実性」を引き受けてくれる企業家がいることではじめて、生産活動と事業が可能にある。

平均的利潤はマイナス
経済学は企業家が成功するチャンスが、失敗するチャンスより高いと断言できるだろうか。そもそも「利潤」とは、「市場の評価による生産物の社会的価値(つまり収入)」が「生産コスト」を超える部分を指すから、「利潤」の発生とは「社会的な純価値」の創造を意味する。
今の質問を言い換えると、経済学は、企業家が平均して社会的な純価値を創造すると断言できるだろうか。

<ショートアンサー>
これは、経済学に答えを出せる問題ではない。なぜかと言えば、「不確実性」の下での行動、つまり成功にしろ失敗にしろ客観的な確率分布が推測できない行動をとっている企業家が、成功する傾向があるか失敗する傾向があるか、客観的な答えを求めることは不可能だからだ。

<ロングアンサー>
これはあくまでも自分の直観だが、企業家は失敗する傾向がある。それゆえ平均的には利潤はマイナスで、企業家は社会的な純価値を創造するより破壊する傾向がある。
理由は、客観的な確率に挑戦する人間は、大抵の場合、ギャンブル好きか自惚れた人間だ。平均的利潤がマイナスという傾向が目立たないのは、「不確実性」を引き受けること以外に企業家が自分の資産や労働時間を投入するという副次的な行動をとっているからだ。その副次的な行動に対する報酬があるために、「利潤」自体はマイナスでも全体としての企業家の手取りはプラスになる。

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