読書 寺田 寅彦 『天災と国防』 講談社学術文庫

寺田 寅彦 著 『天災と国防』を読む。

”天災と国防”
天災と国防

解説・畑村洋太郎
どんな事柄や現象を見る時も同じだが、対象の正しいモデルを自分の中につくるときに欠かせない必須の視点というものがある。
大まかにいうとそれは、「構成要素」「マイクロメカニズム」「マクロメカニズム」「全体像」「定量化」「時間軸」という六つの視点である。
まず、第一の視点は構成要素である。これは観察対象がどんな構成要素から成り立っているかを知ろうとする視点である。
第二のマイクロメカニズムは、観察対象が動作をするとき、その現象を起こしている要因を考え、その関連がどのようになっているかをメカニズムとしてとらえる視点である。
そして第三のマクロメカニズムは、全体の構成要素がどのような関連で、どのような支配法則によって動いているかを捉える視点である。
マイクロメカニズムやマクロメカニズムは、観察対象や現象だけに注目する視点である。それが外から見たときに全体としてどのように見えるとか、どのように動くのかを知ることが必要なのである。これが第四の全体像を見る視点である。
第五の定量化は、対象や現象を量的に捉える視点である。これは自然現象や技術などを捉えるときには必須の視点である。
第六の時間軸も、先ほどの定量化と同じく忘れがちな視点である。すべての事柄や現象は未来永劫に不変ということはなく、必ず時間とともに変改している。

「三現」と「三ナイ」
三現というのは、ある事柄や現象の正しいモデルを自分の中につくるために不可欠な観察の基本姿勢である。
具体的には、「現地」「現物」「現人」の三つの姿勢を指す。
要するに「現地」まで足を運び、そこで「現物」を直接見たり触れたりしたり、「現人」(現場にいる人)の話を聴くということである。
インターネットをはじめとする各種メディアが充実しているので、それらの情報を見るだけでかなりのことがわかる。
しかし、ここには大きな落とし穴がある。「百聞は一見に如かず」で単に頭に仕入れる事実と実際に現地に行ったりして生で触れる事実が大きくちがうことも往々にしてあるのだ。
メディアや専門家などw利用しながら対象とする事柄や現象を理解する方法はいかにも楽そうに見える。しかしこれは、大きな錯覚である。
私はこのような姿勢を「三ナイ」と呼んでいる。
「見ない」「考えない」「歩かない」という意味で、これらは三現の対極にある観察姿勢である。三ナイは手っ取り早い方法のように思われがちだが、もともと大きな問題があるのだ。そもそも三ナイには本当の知識を体得するために必要な、目的意識を持って行動したり、実際の体験の中で自分自身でなにかを感じたり自分の頭で主体的に考える姿勢が欠けているのである。

「三日、三年、三十年、三百年」(人間の法則)
人間の忘れっぽさを考えるときには「三」という数字がカギになる。
「三日坊主」という言葉があるように、人間は同じことを「三日」も繰りかえすと大抵は飽きてしまう。自分が被災者になって手痛い被害を直接受けたときには、さすがにもう少し記憶が長続きするが、それでもふつうは「三年」もすればだんだんと忘れていくようである。
組織の場合になると、個人とちがって記憶がもう少し長続きする。ただし、組織には、長く活動を続けている間に必ず人間の入れ替わりがあるという特徴がある。そこで記憶の減衰が必ず起こる宿命にあるのだ。
大きな事故やトラブルの記憶でも、たいていは「三十年」もすると減衰していくのが一般的である。

一方、社会の場合は、個人や組織のときとちがって被災の記憶は記録としてかなり長く残る。それでも一定の期間を過ぎると、個人や組織のときと同じように過去に経験した危険をだんだん数のうちに入れて活動をしなくなる傾向があることには変わりない。社会の中で大きな事故やトラブルの記憶が減衰するのは、だいたい「六十年」程度である。そして、その状態が続いて「三百年」もすると、社会の中でそのことは「なかったこと」として扱われるようになる。さらにいうと「千二百年」も経つと、そのことは文書に書かれている場合を除いて、社会の中で完全に「なかったこと」になってしまい、人々の意識から完全に消え去ってしまうのである。

「もう津波は天変でも地異でもなくなる」。これは地震に対しても同じだが、「過去の習慣に忠実で」、「新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来る」ものとして見る必要がある。

「内部基準」を備える
いざというとき使える知識を身につけることを勧めているのである。
ここでいっているのは、自分の行動を自分で決めるときに欠かせない「内部基準」を備えろということである。これを「漠然たる概念でもよいから、一度確実に腹の底に落ち着けておけば、驚くには驚いても決して極度の狼狽から知らず知らず取り返しのつかぬ自殺的行動に突進するようなことはなくてすむ」と書いている。
一般的な安全対策は「マニュアル主義」で行われているが、寺田が指定しているのこのやり方の危うさである。「このルートを通れば安全」として通るべきルートを示し、それ以外は一切通ることを許さないのがマニュアル主義の考え方である。このやり方でも安全は確保できるが、これには環境の変化などなにかの拍子にそのルートが使えなくなると、途端に無力になるというもろさがある。それはマニュアルを使う人が与えられたルート、つまり「外部基準」だけに頼っているからで、これでは変化が生じたときの新たな状況にまったく対応できず、なにもできない思考停止状態に陥ってしまう危険がある。
この状態で再び外からなんらかの支持が与えられると、それがおかしなことでもその人はなんの疑問も持たずにそのとおりの行動を始めてしまうこともある。
想定外の問題が生じたときに自分の行動を決める内部基準がないから、外から入ってくるおかしな情報に簡単に振り回されてしまうのである。

福島第一原発について
技術論でいうと、原子力はかなり安全なものになってはいるが、基本的な視点が欠けているように見える。それは安全の実現手段は、基本的に「制御安全」に依存し、「本質安全」の考え方を取り入れられていない点である。失敗やトラブルが起こったとき、自動的に安全の側に働くような仕組みをつくらず。制御技術によってコントロールしよとしていたのである。制御安全のみに頼る方法は、想定外の問題が起こったときには非常にもろいが、このような基本的な問題があるのに、建前としての安全を真実安全だとして議論していたことが問題なのである。
安全対策というのは、危ないことを前提に動いているから効果のあるものになる。安全であることが前提になると、管理が形式的なものになって意味をなさなくなってしますのだ。それでも国から与えられた外部基準、すなわちマニュアルがあればなんとかなると思うかもしれないが、マニュアルは想定している条件の中でのみ力を発揮する。今回のような想定外の問題が生じたときには非常に無力なのである。
想定外の問題が起こったときに正しく対処を行うには、進むべき道を自分で考えるための内部基準が必要になる。
この事故は想定外の問題に対処できるための内部基準を備えることを怠った「組織不良」によるものであるのは間違いないのである。

災難を成長の糧にする
「人間の動きを人間の力でとめたりそらしたりするのは天体の運行を勝手にしようとするよりもいっそう難儀なこと」なのである。
治山や治水、砂防などにかかわっている土木技術社の間では、「既往最大」といって過去に認められている実際に起こった災害を想定して対策を行うのが暗黙の常識になっている。
じつは福島第一原発で想定している津波が「低すぎるのではないか」という指摘はかなり以前からあった。貞観地震の研究者が根拠を示しつつ、東京電力や国に対して危険性を伝えていたのである。この忠告が無視されたのは、人間の法則のなせる業である。無視した人たちに特別な悪意があったとは思えないが、「見たくないものは見ない」「考えたくないものは考えない」かた、忠告を聞いても心が強く動かされることなく、結果として黙殺してしまったということなのだろう。

 

 

読書 竹森 俊平 『1997年-世界を変えた金融危機』

読書 竹森 俊平 著 『1997年-世界を変えた金融危機』を読む。

”1997年- 世界を変えた金融危機”
1997年- 世界を変えた金融危機

第2章 危機を読み解く~「ナイトの不確実性」というブラックホール
グリーンスパン議長は、ナイトのオリジナルな議論を忠実に紹介している。つまり、経済における不確実性には、「その確率分布を推測できる不確実性(これをナイトは「リスク」と呼ぶ)」と、「その確率分布を推測することが不可能な不確実性(これをナイトは「真の不確実性」と呼ぶ)」という二種類がある。
ナイトはその区分を自分の理論の出発点とした。

2 ナイトの原議論
なぜ「利潤」がうまれるのか
フランク・ナイトは、シカゴ大学で45年にもわたって教鞭をとった名物教授であった。大学教授に「変わり者」は少なくないが、彼はその中でも傑出していた。

名著として知られる『リスク、不確実性およぶ利潤』をナイトはコーネル大学での博士論文として完成させた。ナイトがここで解明したかったのは、競争的な経済において、なぜ「利潤」が存在するかという点であった。

そもそも、市場という場所で買い手(たとえば消費者)と、売り手(たとえば企業)の間には対立関係がある。企業は消費者にたくさん支払わせて、利潤を最大にしようとする。消費者は企業に最小限を支払って、満足を最大にしようとする。この両者の利害の対立は、「価格メカニズム」によって調整される。価格がうまく調整されれば、最終的には、(1)消費者はその価格を見て買いたいだけ買い(満足の最大化)、(2)企業はその価格を見て売りたいだけ売り(利潤の最大化)、しかも(3)企業による商品の供給と、消費者による商品の需要とが一致する(需給均衡)。
これが経済的な安定(均衡)である。企業同士が熾烈な価格競争を行えば商品価格が下がり、最終的には賃金、地代、原材料費、などを含めた生産コストを超過した企業の取り分である「利潤」は消滅する。

「リスク」と「真の不確実性」
将来に見込まれる収入を目指す企業は、外れるかもしれない予測、つまり不確実性のもとで行動しなければならない。しかし、不確実性には二つのタイプがあり、そのうちひとつのタイプだけが「利潤」を生む要因となる。
二つのタイプのうち、第一のタイプは、それが起きる可能性についての「確率分布」を思い描けるものだ。ナイトは、これを「リスク」と呼ぶ。
他方で第二のタイプは、それが起こる「確率分布」を思い描けないものである。ナイトはこれを「真の不確実性」もしくは「不確実性」という。

「サイコロの目」、「自動車事故」は、確率分布を想定できる事象である。そのようなタイプの不確実性が「リスク」である。不確実性が「リスク」であるためには、「確率分布」について理論的な推測が可能か、類似した現象が過去に数多く発生しており、データからの統計的推測が可能でなければならない。ナイトに言わせれば、「リスク」には、それをカバーするビジネスが成り立つという性格がある。たとえば自動車保険を売り出す損害保険会社は、過去の統計により自動車事故の一般的確率を予測する。その予測をもとに多数の自動車オーナーと保険契約を結び、「大数の法則」を働かせる。そうやって、保険の支払いをその一般的確率に基づいた金額の近くに収められるので、保険ビジネスが成り立つ。
「リスク」というのは、このように経済にとってさほど問題にならない不確実性である。しかし、経済にとって厄介な問題を生じる不確実性もある。
確率分布を想定できないタイプの不確実性、すなわち「真の不確実性」もしくは「不確実性である」。
サイコロのように理論的に確率を推測できるわけでもなく、そうかといって類似した事象が過去に数多く発生したこともない事象の場合、確率分布を想定できない。

企業家が「利潤を手に入れる」
「利潤」の要因という点について。「リスク」と「不確実性」は異なる。つまり、「リスク」は「利潤」の要因とはならないが、「不確実性」は「利潤」の要因となりえる。
これが著書『リスク、不確実性および利潤』の一番重要な主張である。
生産活動に伴う「リスク」については保険による回避が可能で、保険料は賃金や地代と同じように生産コストの一部として看做すことができる。製品価格を生産コストまで引き下げ、利潤を消滅させるという競争の原理をここで再び当てはめるならば、不確実性のタイプとして「リスク」だけが存在する世界で競争によって利潤はやはり消滅するはずだ。それにもかかわらず、「利潤」が存在するのは、「真の不確実性」があるためである。
「企業家」という特別なタイプの人種のもっとも本質的な行動は、「新しいこと」への挑戦である。「新しいこと」、過去に類例がないことに企業家は挑戦する。「不確実性」と真正面から対決するのである。そして「不確実性」と対決する報酬として、企業家は「利潤」を手に入れる。
結局のところ、「利潤」が社会にとってもつ意味はこれである。それは生産活動の上で避けられない「不確実性」を、企業家が引き受けることに対する報酬なのである。確率の計算ができる「リスク」以外の「不確実性」に遭遇しないで済む安全な生産活動や事業はありえない。それゆえ、「利潤」を求めて「不確実性」を引き受けてくれる企業家がいることではじめて、生産活動と事業が可能にある。

平均的利潤はマイナス
経済学は企業家が成功するチャンスが、失敗するチャンスより高いと断言できるだろうか。そもそも「利潤」とは、「市場の評価による生産物の社会的価値(つまり収入)」が「生産コスト」を超える部分を指すから、「利潤」の発生とは「社会的な純価値」の創造を意味する。
今の質問を言い換えると、経済学は、企業家が平均して社会的な純価値を創造すると断言できるだろうか。

<ショートアンサー>
これは、経済学に答えを出せる問題ではない。なぜかと言えば、「不確実性」の下での行動、つまり成功にしろ失敗にしろ客観的な確率分布が推測できない行動をとっている企業家が、成功する傾向があるか失敗する傾向があるか、客観的な答えを求めることは不可能だからだ。

<ロングアンサー>
これはあくまでも自分の直観だが、企業家は失敗する傾向がある。それゆえ平均的には利潤はマイナスで、企業家は社会的な純価値を創造するより破壊する傾向がある。
理由は、客観的な確率に挑戦する人間は、大抵の場合、ギャンブル好きか自惚れた人間だ。平均的利潤がマイナスという傾向が目立たないのは、「不確実性」を引き受けること以外に企業家が自分の資産や労働時間を投入するという副次的な行動をとっているからだ。その副次的な行動に対する報酬があるために、「利潤」自体はマイナスでも全体としての企業家の手取りはプラスになる。

OpenStreetMap

Software Design 5月号(P158-161)に地図関係の記事がありました。
始まったばかりのOpenSorceのプロジェクトのようです。
Contents Surveyの方法の参考になるかも。

Hack For Japan  第6回復興していく街をOpenStreetMapに記録する

<OpenStreetMapとは>
まずはじめにOpenStreetMapの利点の説明があり、次のようなものがあげられました。

  • ライセンスフリー
  • 誰でも編集可能
  • 印刷して配布可能

普通の地図は著作権に守られ、自由い複製や改変はできませんが、OpenStreetMap ならそれが自由にできることから、”地図のwiki”ということが言えます。最近iOS版がリリースされたAppleのiPhotoにも採用されるなど、商用での採用事例も増えています。日本語の情報はhttp://osm.jp で見ることができます。
ただし、OpenStreetMapは、地図データの入れ物、美しく描画するにはHackが必要とのことです。

<お店の情報を集める>
説明の後、午前中いっぱいはグループに分かれて実際にGPSロガーを持って計測を行いながら釜石のお店を歩いて回り、

  • お店の名前
  • ジャンル
  • 営業時間
  • 電話番号
  • 震災後いつ再開したか

この5点について情報を集めました。各グループには必ず1人は地元に詳しい人がつくようにしました。やみくもに回っても効率的でなく、地元の方ならではの情報が得られるためです。
どのお店の方も忙しい中、快く情報提供にご協力いただきました。3月中旬ではまだ寒い中ではありましたが、訪ねたお店の方に「寒いから中に入って」と言っていただける場面もあり、情報提供に協力いただけることへの感謝とともに復興に向かっていく方々の心の暖かさを感じました。
今回は講師の協力でGarminのGPSロガーを複数台用意できましたが、GPSロガーがなくてもiPhoneやAndroid端末のアプリで代用することも可能です。
例としてiPhoneにはOSMTrack、AndroidにはMyTracks、また、WheelMapというアプリはiPhoneとAndroidr両方に用意されています。

<データの入力>
午後は集めてきたデータを実際にマップにプロットする作業を行いました。
データを登録するにはOpenStreetMapへのアカウント登録が必要ですが、アカウント登録に手間はかかりません。http://osm.org からアクセスし、メールアドレスと希望するアカウント名、パスワードを入力して届いたメールで認証を行えば即座に発行されます。
ほとんどの方は初めての体験であるため、まずはツールの使い方の説明から入りました。編集のためのツールには次のようなものがあります。

  • Potlatch2:Webブラウザで動作するFlashベースびOpenStreetMapエディタ
  • JOSM:スタンドアローンのアプリケーション

今回はブラウザ上で動作するという手軽さからPotlatch2を使用して説明が行われました。午前中に集めてきたGPSロガーのデータは、USBケーブルでPCに接続して吸い上げることができます。
写真に写っているのは、今回の会場の一つであるAOBAの建物を入力しているところです。このようにして建物を入力し、そこに情報をタグとして入力していきます。
“source=survey”というタグを入力すると、自分のGPSログを使用した場合、つまり足で集めたデータということになります。”source=knowledge”は地元の知識や常識という意味になります。
午前中に位置情報とともに集めてきたデータは各項目ごとに次のようなタグで入力できます。

電話番号: phone=+81-120-123-1234
営業時間: opening_hours=hh:mm-hh:mm
ウェブサイト: website=http://foo.com
説明: description=釜石駅から歩いていける
ソース(原典): source=survey
被災して閉じた店舗: end_date=YYYYMMDD
復興してオープンした店舗: start_date=YYYYMMDD

また、バリアフリーの属性を追記することもできます。

wheelchair  = yes
wheelchair:description =  入り口広く、段差なし

このような情報を付加することで、車いすを使用している方にも安心して訪れていただけるお店であるということを示すことができます。
なお、今回使用したPotlatch2はブラウザ上で編集を行うことができる手軽さはありますが、GPSロガーで記録したポイントによる位置の参照ができないという制約があります。ロガーのポイントを元に編集を行いたい場合は、使うタグをあらかじめ知っている必要があるなどの敷居の高さはありますが、スタンドアローンアプリケーションであるJOSMの方が良いとのことです。
最後にディスカッションをしている中で、陸前高田市の津波到達点上に桜を植樹し、震災を後世に伝えるためのプロジェクトである「桜ライン311」という試みをOpenStreetMap上に記録できないかという話も出ました。木のタグは”nature=tree”で表して、木の由来や特徴を残すことができるので、十分可能だとのことです。
ほかにも、各地で紙地図による店舗情報を作成しているところがあります。それらをOpenStreetMapに入力することで、より多くの方と共有できるようにすることも考えられるでしょう。

<イベントの成果>
今回講師として活躍してくれた古橋さんが、このイベントの前後での比較図を用意してくれました。現場でのPOI(Point Of Interest)入力と、横浜の後方支援チームの建物や周辺データの作り込みにより、イベント後は大幅に情報が充実していることがわかりました。
集まっていただいた皆様も自分たちで地図を編集していくことは大いに意義を感じていただいたようで、イベント中に入力しきれなかった情報も後から入力してくださっているようです。

<今後は>
復興へと邁進している今、街の状況は随時変化していきます。自由に編集できる地図でそれを記録して発信していくことは、ITが役に立てることに1つではないでしょうか。
今回のような試みが各地に広がっていくことを願っています。もちろんHack For Japanでも他地域での同様なイベントの開催を検討していきますので、今後ともよろしくお願いします。

日本語の情報は、Open Street Map で見ることができる。
Open Street Map Foundation(OSMF) 日本語コミュニティ

 

 

 

 

 

 

 

中山寺(中山観音)

”中山寺 山門”
中山寺 山門

阪急電車 宝塚線の中山駅(中山観音前)で下車。
すぐに中山寺の山門がある。
拝観料は、無料。

 

 

 

”エスカレータ”
石段横のエスカレータ

子ども連れが多いため、参道の階段わきにエスカレータがある。

 

 

 

 

”本堂”
本堂

一番上に本堂がある。
お正月と違って、人出はすくない。
お札を求める人が多かった。

 

 

 

 

”黒猫”
黒猫が昼寝中

黒猫が、ゆっくり昼寝。
近寄っても、触られても逃げない。

 

 

 

 

 

 

梅田吸気塔 曽根崎

梅田吸気塔

"梅田吸気塔"
梅田吸気塔

建築家 村野 藤吾の作品(1963年)。
梅田地下街の吸気用につくられた5本の柱状の構造物。
阪急百貨店、阪神百貨店、曽根崎警察の狭間の三角地に立つ。

 

 

 

 

"阪急百貨店と富国生命ビルの間"
阪急百貨店と富国生命ビルの間に立つ吸気塔

新しくなった阪急百貨店と富国生命ビルの間にあっても、存在感がある。

 

 

 

 

 

読書 三品 和弘 『経営戦略を問い直す』 ちくま新書

三品 和弘 『経営戦略を問い直す』を読む。

”経営戦略を問い直す”
三品 和広 著 『経営戦略を問い直す』

「戦略の目的は長期利益の最大化にある。」
利益は商取引から発生します。その商取引は、売り手と買い手が揃って初めて成立しますが、どちらの側も自由意志の持ち主です。どちらかが一方的に得をするわけではありません。交換に応じることが自らを利すると当事者が判断するからこそ、市場取引が成立するのです。ということは、市場取引が行われる前と後を比べると、売り手も買い手も幸福度が増すはずと考えてよいでしょう。
経済学が経済成長を是とするのは、この理由によります。市場取引のボリュームが増えれば増えるほど、人々の幸福度が増すと考えられるのです。しかも、その陰で誰一人として犠牲になるわけではありません。

「いつでも誰でも戦略」
それなりの頭の良い人が、推論の途中で間違えることは滅多にありません。間違えるとしたら、推論の前提となる仮定の方です。
戦略に関しても、話がおかしくなる最大の原因は、暗黙の仮定にあると言ってよいでしょう。なかでも罪深いのは、「いつでも誰でも」の仮定です。

「戦略の使命」
変わりにくい長期利益、それを10年単位でいかにシフトアップさせていくか、それが本当の戦略だと私は考えています。
本来は安定している水準をいかの上に向かって変異させるのか、または突然の転落をいかの防ぐのか、これぞ戦略を要する難業です。

「何が何でも成長戦略」
しかし、考えてみると、これは何とも奇妙な表現です。「成長戦略」と口にした瞬間、成長が「目的」であると認めることになってしまうからです。企業や事業の規模、すなわち売上高は、本当に自らの意思で伸ばしていくものなのでしょうか。
売上目標が先に立つと、逆説的ですが、顧客が見えなくなります。顔の見える顧客に購入を押し付けるのが理不尽であることぐらい誰にもわかるので、どうしても目標は顔の見えないマスの顧客に向かうことになるのですが、それは「どこかの誰かが買ってくれるだろう」と高を括るようなものです。そこから先は、無責任な数字が独り歩きを始めます。実績が目標に届かなければ、景気を始めとする外部要因にいくらでも理由を求めることができるので、コミットメント(何が何でも達成するという公約)などとはおよそ縁のない世界が現出するのです。
この図式は、新な事業に手を染める場合にも成立します。自らの成長を「目的」とする限り、相手のことは二の次にならざるを得ません。「機」があるのかないのかは、おかまいなし、ひたすら自らの都合のみを押し通す。

私の見たところでは、優れた企業は成長を「目的」としません。目を見張るような成長をとげていても、それはかくまで「結果」に過ぎないのです。「目的」は、実質のあるところにあり、それが大きな価値を生み出すから自然に顧客が集まってくる、その結果として成長が実現する、そんな因果になっています。

「戦略の主観性」
神戸大学の経済経営研究所の吉原秀樹先生は、戦略の本質を「『バカな』と『なるほど』」と表現されました。世の人々が「理」と思い込んでいつ通念や慣行に潜む嘘を見破ることこそ戦略の第一歩があるというわけです。
戦略の真髄は、見えないコンテクストの変化、すなわち「機」を読み取る心眼にあると言ってよいかと思います。主観に基づく特殊解、それが本当の戦略です。

1.「立地」
「立地」が悪ければ、他の努力がすべて水泡に帰する。
事業を構えるなら、需要があって、供給がすくない「立地」を選ぶ。(照準)

利益率の長期低落傾向が物語る「立地」の荒廃
企業の命運を分ける戦略に「立地替え」がある。

2.「構え」
立地に続いて思慮を要するのが、店の構えです。
立地に次ぐ準固定要素、それが構えの本質です。

「垂直統合」
アルフレッド・チャンドラー先生が、「組織は戦略に従う」という命題を打ち立てられたとき、戦略は三択問題と想定されました。
21世紀初頭のコンテキストを踏まえて言えば、
①経営資源を既存事業のグローバル展開に振り向けるのか、
②新規事業の創造による多角化に振り向けるのか、
③既存事業をベースとした垂直統合に振り向けるのか
そんな選択です。どれにも手をつけるのは戦力の分散を招きます。だから選択になるのです。

「地域展開」
事業の地理的な展開、すなわち日本だけで事業を営むのか、海外に出るならどんな形で出ていくのかの選択です。

3.均整
最終的な有効性は、やはりボトルネックで決まります。
いくら優れた立地を選んでも、いくら秀でた構えを作っても、他にシビアなボトルネックが存在すればすべては台無しです。その意味では、戦略はラインバランス、すなわち均整にあると心得るべきでしょう。

「戦略は人に宿る」
戦略とは、「本質的に不確定」な未来に立ち向かうための方策です。
予想外の新しい展開にリアルタイムでどう対処するのか、それが結果として戦略になる。これが私の暫定的な結論です。
人の対処の仕方には秩序があるのもです。判断のベースは異なる人の間ではバラバラであっても、個人の中においては比較的安定しています。
そういう人に固有な判断のベースは、
①観(K)   (世界観:歴史観:人間観:事業観)
②経験(K) (手口)
③度胸(D) (胆力)
だと捉えています。
事業を取り囲む今という時代をどう読むのか、それさえ定まれば、なすべきことは自ずと決まります。仮定は人によりけりでも、推論のプロセスを間違える人は少ないからです。その意味では、戦略の本質は「為す」ではなく、「読む」にあります。経営者の持つ時代認識こそ、戦略の根源をなすのです。

読書 池田 信夫 『イノベーションとは何か』

池田 信夫 『イノベーションとは何か』を読む。

”イノベーションとは何か”
池田 信夫著 『イノベーションとは何か』

「イノベーションとは何か」と題したビジネス書はたくさん出ているが、そのほとんどは過去の成功事例を列挙して結果論をのべたものだ。たとえば、「スティーブ・ジョブズは大好きなことをしたからイノベーションを実現した」という事実が正しいとしても、そこから「大好きなことをすれば常にイノベーションが実現できる」という法則は導けない。成功事例を事後的に説明することは容易だが、理論なしにデータをいくら集積しても、どうすれば成功するかは事前にわからないのだ。

イノベーションを理解するという目的にそって使うのが本書の特徴といえよう。本書の柱となる仮説を最初に列挙すると、以下のようなものだ。

1.技術革新はイノベーションの必要条件ではない:
すぐれた技術がだめな経営で成功することはまずないが、平凡な技術がすぐれた経営で成功することは多い。重要なのは技術ではなくビジネスモデルである。

2.イノベーションは新しいフレーミングである。:
マーケティングで顧客の要望を聞いても、イノベーションは生まれない。重要なのは仮説を立て、市場の見方(フレーミング)を変えることである。

3.どうすればイノベーションに成功するかわからないが、失敗には法則性がある。:
大企業が、役員の合意でイノベーションを生み出すことはできないし、特許のノルマでイノベーションが生まれることもない。

4.プラットホーム競争で勝つのは安くてよい商品とは限らない:
技術競争は、「標準化」ではなく進化的な生存競争だから、すぐれた規格が競争に勝つとは限らない。むしろ新しい「突然変異」を拡大する多数派工作が重要だ。

5.「ものづくり」にこだわる限り、イノベーションは生まれない:
特に情報産業の中心はソフトウェアであり、それは同じ製品を大量生産するものづくりではなく、ひとつの作品をつくるアートだから、要求されるスキルが製造とはまったく違う。

6.イノベーションにはオーナー企業が有利である:
事業部制のような複合型組織は、規模の経済の大きい製造業では有効だが、ソフトウェアを中心とする情報産業ではオーナー企業が有利である。

7.知的財産権の強化はイノベーションを阻害する:
特許や著作権がイノベーションに与える影響は、中立かマイナスという実証研究が多い。いま以上の権利強化は法務コストを増大させ、イノベーションを窒息させる。

8.銀行の融資によってイノベーションは生まれない:
ハイリスクの事業を行うには、株式などのエクイティによって資金調達する必要がある。銀行の融資や個人保証は危険である。

9.政府がイノベーションを生み出すことはできないが、阻害する効果は大きい:
政府はターゲッティング政策から手を引き、インフラ輸出などの重商主義的な政策もやめるべきだ。

10.過剰なコンセンサスを断ち切ることが重要だ:
イノベーションを高めるには、組織のガバナンスを改める必要がある。特に日本的コンセンサスを脱却し、突然変異を生み出すために、資本市場を利用して組織を再編することが役に立つ。

読書 山村 修 『<狐>が選んだ入門書』

山村 修 『<狐>が選んだ入門書』 ちくま文庫 を読む。

"狐が選んだ入門書"
狐が選んだ入門書

入門書こそ究極の読みものである。
私のいう入門書は、それ自体、一個の作品である。ある分野を学ぶための補助としてあるのではなく、その本そのものに、すでに一つの文章世界が自律的に開かれている。思いがけない発見にみち、読書のよろこびにみちている。私が究極の読みものというとき、それはそのような本を指しています。

第一章 言葉の居住まい
1.国語辞典に「黄金」を掘りあてる
武藤 康史 『国語辞典の名解釈』
2.敬語は日本語の肝どころ
菊地  康人 『敬語』
3.奈良の都に交わされる声をさぐる
橋本 進吉 『古代国語の音韻に就いて』
4.人生への問いと文章の書き方
里見 弴 『文章の話』
5.切れば血とユーモアの噴き出る文章術
堺 利彦 『文章速達法』

第二章 古典文芸の道しるべ
1.社会人に語りかける古典入門
藤井 貞和 『古典の読み方』
2.古歌を読む分析的知性の強力さ
萩原 朔太郎 『恋愛名歌集』
3.俳句を読み深めることのたのしさ
高浜 虚子 『俳句はかく解しかく味う』
4.現代詩をめぐる「楽しい遍歴」
三好 達治 『詩を読む人のために』
5.読むことのうれしさにみちた近代小説案内
窪田 空穂 『現代文の鑑賞と批評』

第三章 歴史への着地
1.歴史への抑えた怒り
エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』
2.歴史的想像力の剣さばき
岡田 英弘 『世界史の誕生 -モンゴルの発展と伝説』
3.ブルジョアの二面性を鮮明に照らす
遅塚 忠躬 『フランス革命 -歴史における劇薬』
4.「記者魂」の躍如としたジャパノロジー
内藤 湖南 『日本文化史研究』
5.歴史の直接的な肌ざわり
中村 稔 『私の昭和史』
第四章 思想史の組み立て
1.世相の向こうに「近代」の醜悪をあばく
金子 光晴 『絶望の精神史』
2.考えるべきことを考えよという指針
田川 建三 『キリスト教思想への招待』
3.思想史からの伝言
岩田 康夫 『ヨーロッパ思想入門』
4.本の「断片」を読みふかめる
内田 義彦 『社会認識の歩み』
5.アラビヤ語とイスラームとの切っても切れぬ関係
井筒 俊彦 『イスラーム生誕』

第五章 美術のインパルス
1.たっぷりとゆたかな「小著」
武者小路 穣 『改訂増補 日本美術史』
2.江戸絵画の見かたをかえる異色の水先案内
辻 惟雄 『奇想の系譜』
3.画家の身にひそむ思想の筋力
菊畑 茂久馬 『絵かきが語る近代美術』
4.「名画」という価値から解放された絵の見かた
若桑 みどり 『イメージを読む』
5.二十世紀絵画に「感覚の実現」を読む
前田 秀樹 『絵画の二十世紀』

私と<狐>と読書生活と -あとがきにかえて
世の職業人でいちばん自由に読書ができるのは、もしかすると、研究者でもなく、評論家でもなく、勤め人かも知れません。
時間は、与えられるものではありません。つくりだすものです。そして、本を読むくらいの時間は、意外につくりだすことができる。