
堂島地下街 の CAFE de CRIEで
ブランチ。

モーニングセットが400円。
パンもおいしい。ソーセージもパリっとして歯ごたえがありました。
ゆっくりコーヒーを飲むのにいいお店。
データセンタで遅くなったので、
帰り道のお店に入る。
商店街の入り口、中崎町の地下鉄出口横のスパゲッティ専門の看板が目印の
お店に入る。「倶蘇蛇麗」は、「くそったれ」と読むようです。
カウンターとテーブル席1つの小汚い昭和レトロなお店。
夜遅く来て、食事をするのに向いてる。
お客さんは、ぱらぱら入ってくる。女の人のひとり客も多い。
「トマトソース あさり」700円。
ボンゴレロッソではありません。
あつあつで湯気をたてて出てくる。
あっさり味でたまねぎがたくさん、麺も細めで食べやすい。
クリームソース 、しょうゆ味、ミートソース、喫茶店味まである。
デパ地下弁当にいいのがなかったら、中崎町まで行きましょう。
佐藤 優 著 『神学部とは何か -非キリスト教徒にとっての神学入門-』 を読む
神学とは何か
神学がいかに「虚学」(見えない事柄を対象とする知的営為について、私が名づけた言葉)であるかよいうことを、次の2点から神学の性質を説明する。
神学の場合、過去の例から見ると、むしろ論理的整合性が高い方が負ける傾向が強い。そして議論に負けた側は異端という烙印を押されて、運が良い場合でも排除され、運が悪ければ皆殺しにされる。
勝った方は、自分たちにやましいところがあるので後ろめたい気持ちになり、「理論的にはこっちの方が弱かったのではないか。あれで勝ってしまってよかったのか」という気持ちになる。負けた方は、「政治的に弱いし人数はすくないけれども、自分たちの方が絶対正しかったという確信を持つ」。
神学論争には無茶苦茶な話がたくさんある。
官僚の世界もまた神学のあり方と似ていて、神学論争は官僚仕事をやる上で非常に役に立つ。官僚はまず最初に結論を決め、そしてあとはそこに向けた議論を組み立てていく。官僚の間で使われている業界用語に省庁間の合議(あいぎ)というものがある。これは役所の中の権限争いである。結局のところこの結論は、お互いの役所で最初から決まっているのだ。そのすでに決定している結論に向けて、どうやって理屈をきちんとつけていくのか、という性質だ。これはまさに神学論争(ディベート)と同じ構造である。ディベートは議論をして結論を出す試みではない。2つの反する結論があり、両者のそれに向けの討論過程が重要なのである。
この論争においては、真理を探究しているわけではない。これがディベートの本質だ。ディベートは決闘でありゲームである。従って、ディベートと、お互いに真摯に議論をしながら真理を求めていく論争は、全然違う。
学問はたいてい議論の積み重ねによって進歩する。しかし、神学論争の場合は積み重ねで議論がなされないことが多い。
キリスト教は、人々を依存させる「民衆のアヘン(カール・マルクス)」ではなく、自立させるための宗教なのだ。その基本的な考えは次の通りである。
人間は本来、神の似姿である。しかしこの世では、さまざまなものに依存し、囚われている。そこで神は、人間が本来の自由をとりもどすために、自らのひとり子を世に送った。しかもそのひとり子は、天上のすばらしい場所から、世の最も低い、悲惨な場所に送られた。その場所で、イエスと人格的なふれあいをもった人たちに何かが起きた。それが奇跡である。
ただ、イエスの教えは元来、譬のような文学的表現で伝えられていたけれども、いつしか教理という理論的な言語によって保存されるようになったので、われわれはイエスの信仰のリアリティを類比で捉えるしかないわけである。
伝統的なプロテスタント教会が、キリスト教系新宗教(原理主義系の教会や、モルモン教、統一教会など)に抱く違和感のの理由は、イエス・キリスト以外の救い主(モルモン教=ジョセフ・スミス、統一教会=文鮮明)が出てくることなのだ。これは、モーセの十戒の第一戒(「わたしのほかに、なにものも神としてはならない」)に反するということである。
カルヴァンと言えば、まずは予定説のことを思い浮かべるだろう。人間が救済されるか否かは、その人間の資質や功績に関係なく、あらかじめ神が予定しており、天上における神のノートに書かれているという思想である。
革命の思想を理解するためにも、カルヴァンは大きな意味を持ってくる。たとえば、ジュネーヴという都市国家には、プロテスタンティズム革命を世界に輸出する機能があった。その意味でレーニンのボルシェビズム(ロシア共産主義)もカルヴァン主義の亜流といっていい。
社会が弱体化し始めると、テロに対する期待感が生じる。そのような状況で、政治が国民の見解をまったく反映しておらず、経済の調子も悪いとなると、どの国でもテロリズムあるいはクーデターという回路によってものごとを解決しようという思想が生まれてくる。暴力によって体制を変えようとするテロリズムの動きが起きると、その次の瞬間、国家が暴力を行使し始める。国家の暴力を放置し続けると、国家は次第に暴走し始め、暴力によって社会全体が覆われるよううな状況がくるわけである。
国家とともに危険なのが貨幣である。貨幣は、商品と交換するための便宜から出てきた特殊な商品である。ところが、商品はつねに貨幣に交換できるというわけではないが、貨幣はつねに商品と交換できる。そうすると、「欲望が何でも実現できる」ということになる。貨幣は、商品交換を行う人間どうしの関係から生まれたにもかかわらず、何にでも交換できるたいへんな力をもった物神性を帯びるわけだ。
国家と貨幣は、われわれが一番きをつけてつきあわないといけないものである。なぜならば、それがあたかも神のように絶大な力があるように見えてしまうからである。われわれキリスト教徒は、神以外を神とすることはできない。それこそが偶像崇拝であり、モーセの第一戒に背くからである。
明治学院大学 国際学部付属研究所 公開セミナー(4)『「知」の十字路』河出書房新社 を読む
「歴史の尻尾を手繰り寄せる」 佐野眞一 x 原武史
近代の皇后の存在感
明治、大正、昭和、平成と四代の皇后を通してみると、非常に目を引くのは、貞明皇后(大正天皇の奥さん、昭和天皇の母親)、それから今の美智子皇后です。このふたりの存在感はやはり際立っている。
近代天皇制における天皇、皇后のあり方を平べったい言葉で言いますと、「夫婦共働き」ですよね。それが連綿と続いてきて、そのピークが現在だと思います。美智子さんは巨大な存在でしょう。明治から近代天皇制で重要人物を3人挙げろと言われたら、まず明治天皇、それから、悲劇やあの孤独感も含めて昭和天皇でしょう。そして3人目が、現天皇には申し訳ありませんけれども、美智子さんでしょうね。美智子さんは「神事をおろそかにしてはならない」という貞明皇后の教えを守っている訳ではないでしょうけれども、一心不乱に神事を行っている。以前、彼女の故郷の館林に美智子さんが表敬訪問にいらした際に会ったのですが、驚いたことに、彼女の眼差しが、ひとりひとりを的確に捉えているんです。少なくとも私は「見られたな」という意識を持ちました。ひとりひとりが「見られている」とい感じる眼差しです。それは単に眼差しの強さというつまらないことではなく、「ああ、この瞳の中に入っちゃったんだな」という意識を持ちました。よく知られているように、天皇・皇后は沖縄戦の終わった日、日本の敗戦、それから広島、長崎に原爆が投下された日の四日は、すべて休んでただ祈るわけですよね。それを率先しているのは、美智子皇后だと思います。
さて、平成論になると、次の天皇になる方のお妃問題に触れざるを得ない。そうするとやはり、近代天皇制は、そろそろ耐用年数が切れつつあるというのが私の認識です。近代天皇制は、最大の危機を迎えていると思います。
昭和天皇の次の代に結婚した美智子さんは、皇族ではなく庶民からでた方ですけれども、そういう非常にわかりやすく言えばシンデレラ・ストーリーのような形で、ちょうど日本が高度経済成長という波に乗っている時代に皇室にはいった。ところが、昭和天皇っていうのは良くも悪くもたいへん長生きをしてしまったため、現天皇の皇太子時代が非常に長かった。それは皇太子妃美智子さんの妃としての生活が長すぎたことで、矛盾がいっぺんに押し寄せてきているように感じるのです。
少なくとも日本人は、天皇制に代わる新しい制度を編み出すほど独創的な民族ではないと思っています。
美智子皇后は、危機的な状況になればなるほど、輝きを増していきます。それは今だけを見れば確かにいいことのように見えます。しかし、「次は、どうなるんだ」という見方がされるようになる。つまり、皇位の継承という点から長い目で見たときに、美智子さんの行動が皇室の危機を深化させていると思えてくる。
美智子さんというのは、もう出てこないであろうスーパースター、出来すぎの女性です。これは美智子さんの責任ではありません。
私は美智子さんのことを、ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」という有名な絵を見るようだと感じてしまう。彼女は出来すぎますから、自分の息子まで食べている感じを受ける。これは天皇制にまつわる宿命です。凡庸では危機は乗り切れませんから困るわけです。
ただし、天皇制はというのは新しい時代になれば違う天皇制を編み出していかなければならない。昭和天皇は昭和天皇流の編みだし方を、現天皇と美智子さんは、祈りという形で行っている。では、次期天皇がライフワークとするものが無くなっている。象徴的にいえば、昭和天皇は稲の天皇だった。現天皇、皇后は、エコロジー、平べったい言葉で言えば「縁」というところに依っています。そういう大きな構想力の中のメタファーまで手をつけられると次のテーマ
がないと思ってしまう。本当に難しい局面にきています。
「なぜ学ばなければならないのか」 佐藤 優 x 原 武史
総合大学とはなにか
大学で学べる学問を簡単に挙げてみますと、文学、哲学、法学、政治学、工学、理学などがありますが、これらはすべて実学であり、現実のどこかに役立つものです。また、論理や作品の形で示すことができます。ヨーロッパでは、この実学だけしか学べべない大学は総合大学と言わず、Polytechnique(ポリテクニーク)やCollege(カッレジ)と言います。なぜなら、神学部がないからです。
ヨーロッパにおいて総合大学といわれる場合には必ず神学部があります。神学は、虚学です。数学の背景にも、哲学の前提にも、歴史学の前提にも神学はあるし、音楽や体育にも、それを基礎づける神学があるのです。神学とは表にある様々な学問の裏側についている学問と言えるでしょう。そして虚の物と実の物を合わせたものが総合知であり、それらを学べる大学を総合大学と呼ぶ考えなんです。
中世の大学は何年制だったと思いますか?大学に入学するのが。12歳から16歳くらいです。一般教養を11年間やった後、法学部と医学部と神学部に分かれます。修業期間がもっとも短いのが医学部で、専門課程がだいたい5,6年でした。法学部で8年から10年くらい。神学部は、約16年です。ですから、神学部出身者は、大学に27年間いるということになります。大学入試はなく、大学の先生の弟子になるんです。入学しての卒業率は、約5%です。95%が途中で退学してしまう。
この中世において、「博識に対抗する総合知」という考え方がありました。専門知識をいくら知っていても、今で言うところの「オタク」扱いしかされません。それに対して、知識の量はほどほどにしかなくても、その知識をどう扱えばほかの分野の知識と連動させることができ、人間が生きていく上で役にたつかを知っていることを、中世の人たちは総合知と言ったんです。
民族と国家
「民族ができる」ということは、一定の教育を受けた労働者を作ることと同じなんです。産業転換の構造に合った形で、どんな労働にも就ける人を作らねばならないという要請の中で、民族が作られていく。その民族の構成員はは、均質で平等です。そうなったときに、「敵のイメージ」が重要になってくる。
「チェコ人」ができるいときにはドイツ人が「敵のイメージ」です。「ポーランド人」ができるときはロシア人が。「アイルランド人」は、イギリス人が。「フランス人」は、イギリス人とドイツ人が。「ドイツ人」は、フランス人が。どうしてフランスとドイツはお互いに「敵のイメージ」になるのでしょう。それは、戦争を繰り返す中で、自分たちが負けたときにの記憶-「我々はこけにされた」「ひどい目に遭わされた」といった記憶を結びつけていって、「私たちをよくもひどいめに合わせたな」という負の連帯意識を持つようななるからです。民族はこうしてできあがっていく。
見えない「関係」を見抜く
今、中国では、負の連帯意識によって、中華帝国時代の「漢人」とは異なる「中国人」という近代的な民族が作られています。このとき、我々日本人が「敵のイメージ」にされてしまっているため、日本と中国は、国家という位相では、ぜったいに仲良くならないことを前提として、お互いに関係を組み立てないといけない。国民国家形成のプロセスにおいて、日本人は中国人を「敵のイメージ」にしませんでした。このような非対称性うぃわれわれの努力で崩すことはできません。
ところが、この「敵のイメージ」をつくる課程において、中国は、チベット、ウィグルとの間での民族問題という深刻な問題を抱えています。
民族自決権を行使して、チベットがが独立するという、ナショナリズムを煽れば中国自身にブーメランで返ってくる事柄です。
塩野七生 著 『海の都の物語』 を読む。
第二話 海へ
中世の地中海交易が扱った商品といえば、香料を中心とした奢侈品であると思っている人は多いであろう。たしかにこれらの品は、ヴェネツィア商人が商った、典型的な品ではあった。しかし、奢侈品は、絶対に必要な品ではない。そして商売というものは、買い手が絶対に必要とする品を売ることからはじまるものである。買い手に買いたい気持ちを起こさせるような品を売りつけるのは、その後にくる話だ。
海洋貿易時代になると、主要商品が奴隷と木材に代わる。いづれも、ヴェネツィア商人の得意先であるアフリカの回教徒たちが、ぜひとも欲しいと望む品
であった。
キリスト教によって、奴隷制度は完全に廃止されたわけではない。キリスト教徒を奴隷として売り買いすることは禁じられてはいたが、キリスト教徒からみて、異教徒や、また単に不信の徒とされた人々、つまり、いまだにキリスト教化されていない人々の場合は、認められていたのである。
カトリック教会がそれを正当化するためにあげた理由とは、肉体を束縛することは精神の救済に役立つ、というものであった。この理由によって奴隷として売り買いしてかまわない人々には、異教徒である回教徒はもちろんのこと、同じキリスト教徒でもカトリック教徒以外の人々まで含まれるわけで、ローマン・カトリックから異端とされていたギリシャ正教を信じるカトリック教徒も、この分類に入ることになるのである。しかし、最大の奴隷”資源”の産地は、いまだキリスト教化されていない地方であった。6世紀頃はアングロ・サクソン人が、9、10世紀には入ると東欧のスラブ民族が、奴隷市場で売られる主要な民族であった。
それにしても、中世の奴隷は、ヨーロッパからアフリカへ流れていたのである。
奴隷の買い手は、アフリカのサラセン人が主要な客であった。ハレムにも売られたが、回教徒の軍隊を補強するのに、その大部分が使われたのである。
奴隷と並ぶヴェネツィアの二大商品のもう一つは、木材であった。これまた上得意は、アフリカの回教徒である。地中海地方は、長い間の手入れの悪さのために、木材がひどく欠乏していた。一方、ヴェネツィアの背後には、多量の木材の供給地が控えている。ヴェネツィアが造船業の先進国になれたのは、近くに安くて質の良い木材の供給地を持っていたからだと言われるほどであった。
北アフリカの回教徒に奴隷と木材を売り、金や銀で支払いを受けたヴェネツィア商人は、その”外貨”を持ってコンスタンティノープルへ行く。そして、そこで、必要不可欠な品ではないが西ヨーロッパ人が最も欲しがる、奢侈品を買い求めるのである。香料とか布地とか、金銀の細工品から宝石も。これらを積んでコンスタンティノープルを発ち、ヴェネツィアへ戻るのが、ヴェネツィア商人の主な交易路であった。商品を持ってヴェネツィアに着けば、ヨーロッパ各地から集まった商人たちが待っていて、荷をほどく間も惜しいように、またたくまに売れていくのである。
ヴェネツィア人は、彼らの力の基盤は船であることを熟知していた。いかなるヴェネツィア人も、老朽船でないかぎり、外国人に船を売ることは禁じられていたし、ヴェネツィア人が船を購入する時はヴェネツィア国内で造られた船を買わねばならないと、法律によって決められていた。
材料は売っても、完成品は売らなかったのである。
第四話
明治学院大学 国際学部付属研究所 公開セミナー(4)
『歴史と現在』 河出書房新社 を読む
「演歌と夜汽車」 八代亜紀 x 原 武史
キャンペーンと鉄道
30日のうち28日は地方まわりですから、両手にトランクを抱えて、譜面を詰め、全国を移動し続けたんです。手はマメだらけで、毎晩夜行に乗って違う町へ行くわけです。あるとき、朝早い時間に、在来線-場所は忘れてしまったのですが、-に乗ったのですが、とにかく疲れていて、紐靴を履いていたのですが、「ああ、座席に足を乗せて眠ったら気持ちいいだろうなあ」と思っていたらそのまま寝ちゃったんです。そしてふっと気づいたら車内は超ラッシュ状態なんです。吊革に掴まってぎゅうぎゅう詰めになっていた。でも、私が足を投げ出して乗っているそのボックスだけ、誰も座っていなかったんです。私はすごく恥ずかしくて、ぱっと足を下ろして、一所懸命バッグを手元に寄せて小さくなりました。ただ、今だからわかるのが、おそらくそのときの周囲のみなさんは、泥のように眠っている、手をマメだらけにしてトランクを横に置いて眠っている若い女の子を、起こせといわなかったということです。暗黙のうちに「寝かせといてあげようよ」という雰囲気になってくれた、みなさんの気持ちですね。人間は、一所懸命やる若者に対して、ものすごく優しいということを学びました。
会場からの質問に答えて
「私は、大学生やキャンパスなどにすごく憧れているんです。その年代の私は、とにかく八代亜紀として過ごしていて、八代亜紀という責任があった。売れていようと売れていまいと、八代亜紀でなくてはならいけない。もちろん遅刻してはいけないし、反発も簡単にできない。だからこそ、そういう責任を持つようになる前の大学時代は、すごく貴重な4年間だと思います。特に、自分を知るチャンスですし、自分を知って、信じていくことが大事な時期です。いろいろな自分の姿を思い浮かべて、そのなかでも特にどれを信じられるかを描いてごらん。そして、それに向かっていけばいい。」
「文学と東京」 宮部みゆき x 原 武史
鉄道の存在が小説に与えるもの
英語版もいくつか出ているんですけれども、英語版の『火車』が出たときに、『ヘラルド・トリビューン』紙の記者の方がインタビューにきて下さったのですが、「私は東京と言っても非常に限られた場所にしか住んでいないので、私の書く東京は、ある種の偏った東京で、TOKYOではないかもしれない」と申し上げたんです。「ダウンタウンで、ブロンクスみたいなところ」と言ったら、「あなたがどこに住んでいて、どこに血脈があるかということにかかわらず、私たち英語圏の人間も、今の日本で何が起きているのかが知りたい。だから、日本の日常を生きている人たちが出てきて、事件に巻き込まれたり、あるいは事件を解決したりしていくような作品を読みたい。」と言われたんです。それに対して私が、「もっとスケールの大きい国際謀略ものとか、大国間の駆け引きなどが描かれている小説が日本にもたくさんありますから、そうゆうものもぜひ紹介してください」と言ったら、「それは国産で足りているのです。ただ、JAPAN NOWが欲しいんだ」とおっしゃるんですね。これはすごく意外なことでした。たとえば、「サラリーマンが会社帰りに居酒屋で一杯やる」といった描写を、アメリカの人たちが読みたいと思うとは思わなかったので。「生活人であるという点では、少なくともある程度の先進国ではみな同じハートを持っているけれども、ライフが違う。そのライフを見たいんだ」
「メディアと社会」 佐藤 卓己 x 伊東秀爾
メディアとは何か
1980年代になるまでメディアという言葉は広告業界のジャーゴン(業界内だけで通用する隠語)としては使われていたものの、一般の人たちが使う言葉ではありませんでした。ですから当時は新聞でメディアという言葉を使うときには、「報道などの媒体」「情報伝達媒体」といったように、カギ括弧つきで説明されていました。80年代後半になってバブル期に入るなかで初めて、メディアという言葉が日常用語として使われるようになりました。
私たちのテレビにまつわる思い込みと歴史的事実には大きなギャップがあるんです。一般の歴史書には「1953年に日本でテレビ放送が始まり、力道山のプロレスを見るために、街頭テレビに日本人は殺到した」と書いてあります。さらに1956年には、大宅壮一がテレビについて「一億総白痴化」、つまり、下品なテレビ番組を観ることで日本人が馬鹿になると言ったこともよく知られています。
しかし歴史的事実について見直してみると、街頭テレビで初めてテレビを見た人よりも小学校の教室でテレビに出会った人のほうが多いはずです。また、大宅壮一が1956年の日本テレビ系の『なんでもやりまショウ』を批判した当時、このテレビ番組を観られた地域は首都圏だけです。大宅壮一が批判した低俗番組は首都圏の「贅沢品」であって、とても一億人が観ていたわけではありません。
「フローなメディア」をいかに研究するか
テレビ研究は、史料収集という点で、メディア史研究のなかでも特に難しい面があります。
メディアは通常、フロー-流れ去って保存されない-メディアと、ストック-蓄積され頬保存される-のメディアとのふたつに分けられます。映画は当然ストックされるメディアで、名画座のようなところで繰り返し上映するのでフィルムは原則的に保存されます。しかし、テレビは、アーカイブがあるとは言っても、過去のものがほとんど残っていません。フィルム時代の60年代までよりもビデオ時代の70年代が特にそうです。というのもビデオで撮っても、放送が終われば、その上から被せて同じカセットを何度も使っていたからなのです。だから、皮肉なことですが、黄金時代の番組は、テレビ局にはほとんど保存されていません。テレビというのは、もともと保存や蓄積するということを考えていなかった「フローな媒体」だと言えます。
活字の世界でいえば、書籍が「ストックされるメディア」で、新聞や雑誌が「フローなメディア」でしょう。ストックされる本は、文化財的なものと評価されますが、それに対する新聞・雑誌などは、フローなメディアですから、消耗品として評価は低い。古本は売れますが、古新聞・古雑誌は通常ゴミです。同じことが映画とテレビの関係にも言えて、映画とテレビのどちらが高級かというと、まず映画でしょう。
「趣味はなんですか」と聞かれて「映画です」と答えるのは「読書です」と同じくらい恥ずかしくないでしょう。でも「趣味はテレビです」は「東スポです」「週刊大衆です」と答えるのと同じくらい恥ずかしい。
国会図書館ですら、『キング』は歯抜け状態で、まともなコレクションになっていない。大衆雑誌なんて集める必要がないと思われていたのでしょう。
おそらく50年後に皇室の研究をしようとしたら、『女性自身』は非常に重要な史料になるでしょうか、大学図書館で『女性自身』のバックナンバーをしっかり集めているところは東大以外にないでしょう。あるいは、昭和時代における女性の性意識を研究しようとしたら『微笑』などがとても役立つはずですが、果たして大学図書館でそれをストックしているところはあるでしょうか。あるいは、たとえばやくざの研究をするために『アサヒ芸能』を見たいといったときに、大学図書館の相互利用は絶望的ですね。
「文明の転換と資本主義」 中沢新一 x 高橋源一郎
人類の「普遍的能力」とグローバル資本主義の目指す「普遍」
人間の知的能力が、十数万年のあいだ、ほとんど変わらず同一の普遍構造を持っていることがわかったきます。どこの民族であろうが、どの言語を喋っていようが、どんなに違う言葉を喋っていようが、知的能力は同じです。そしてそこには普遍的な心の能力というものが潜んでいて、それが各母語や文化に展開するちう仕組みです。つまり、人間はある意味で普遍的な存在ということになるわけです。それが地域ごとに多様な文化、文明を作り出している。この普遍性と多様性がセットになっているのが人間であるという点が、最も重要な認識じゃないかと考えています。人類学では、レヴィ=ストロースが同様の認識をし、人類の文化は、普遍的構造の多様化として現れてくるが、それを生み出すおおもとは普遍的なものだと言いました。
いっぽう、現代の世界は、単一の文化、単一の社会システムに人類を作り替えようとしています。なぜなら、商品や労働力を迅速に流通うさせるためには、各言語や文化、パーソナリティの違いが大きな障壁になるからです。しかしこれが、人類の普遍に向かっていることを意味するかというと、そうではありません。今、地球上で均質化、単一化に展開しているものは、アングロ・サクソンのローカルな文化形態でしかありませんから、普遍ではない。
普遍的な能力は、私たちの脳のなかに宿っています。そして、それが多様性をそなえた文化であり言語となって展開してくるものであり、人類の普遍能力の豊かさを実証しているものです。けれども、もしもこれを人類が均質な文化であるとか、均質な経済システムであるとか、均質な生活様式、意見、世論、こういうものによって均質化したとき、私たちのなかで、普遍的な能力の展開は死んでしまうでしょう。
現代において最も重要な問題というのは、人間の世界が大きく二極分解しつつあるということだと思います。アングロ・サクソン型の資本主義を世界中に広め、労働力を自由に流動化させ、商品の自由化を推し進めていき、地球上を単一のシステムに変えようとしている。これがグローバル資本主義と呼ばれているものです。それは地域で育ってきた多様性を持った文化が最も邪魔になりますから、日本で言えば日本語や日本的なシステムに当たるものを破壊していく動きが展開されるつつあります。
『リスティング広告 プロの思考回路』 アスキーメディアワークス を読む (Blog)
第1章 どうやって効果を高めるのか?
リスティング広告で一番大事だと考えていること
「ランディングページのファーストビューに本当に言いたいことがかかれていない!」(自社を知る)
「そんなキーワードで出稿したって(同じキーワードで出稿している)他社に勝てるわけない!」(競合を知る)
「その広告文で本当にクリックされると思う?」(お客様を知る)
プロが必ず実践していること
(1)「ユーザは必ず自社(広告主)と競合他社を比較している」ことを念頭に置く
(2)「比較されたときに勝てる武器は何か」を理解している
リスティング広告は、ユーザが何かのニーズをキーワードで表現し、検索したときに表示されるので、自社(広告主)がよほど強い商品を展開していなければ必ず競合の商品やサービスと比較される。そのとき、他社と比較されても、なお自社(広告主)の商品やサービスがユーザに選ばれる「武器」がなければ、どんなに何度も上位に表示されても、本来の効果は発揮できない。「比較されたときに勝てる武器は何か」を理解することが非常に重要であり、「クリック率」や「広告スコア」、「コンバージョン」、「LPO」といった指標を小手先でいじるより、はるかに大きな成果が得られる最善の策になる。
リスティング広告は最も手間のかかる手段
リスティング広告は、最も獲得効果の高い手段である理由は、テレビ広告やバナー広告がニーズのないユーザにも自社の主張を表示していたのに対し、リスティング広告は何らかのニーズをキーワードの形で表しているユーザに対してのみ表示される。ニーズには興味・関心の段階の含まれるので必ずしもすべてが購入に結びつくわけではないが、テレビ広告やバナー広告より効率が高い。
まず、リスティング広告はキーワードで網を張るところから始まる。しかし、ひとつの商品に対してユーザが検索に使うキーワードは何十、何百種類(ミスタイプまで含めればもっと多い)ににもなる「検索キーワードの多様性」がある。「検索キーワードの種類はニーズを持つユーザの数だけある」と言っていい。しかも時代の流れ、人々のニーズの変化によってひとつの商品に対応するキーワードも変わっていくし、寿命の短い商品であれば、商品の方が変わってしまう。リスティング広告でも商品に対応する細かなニーズとキーワードの関係を細かく幅広く更新し続けないと販売につながらない。
また、リスティング広告は多くの場合、同じキーワードで網を張っている会社、つまり同様の商品やサービスを提供している競合他社と自社の広告が一緒に表示される。テレビなら競合同士が同じ番組のスポンサーになることはあり得ないし、バナー広告なら一つの表示枠に1社しか表示できない。ところがリスティング広告の場合、ほとんどの場合は競合他社の広告が同時に表示され、即時に比較対象になる。USP(Unique Selling Point = 独自の売り)がないと見向きもされないのがリスティング広告だが、同じような商品やサービスが表示されている中で、数十文字のテキストでUSPを見せるのは非常に難しい。だが、USPがなければ売れないのも事実だ。広告文を絶えず競合と比較して見直し、他者には出せないUSPを模索し続けるしかない。
さらに、リスティング広告は出稿してクリックされただけでは売り上げにならない。
どんなにうまくキーワードの網を張って、広告文で差別化しても、最終的には「正しい情報」に導かないと意味がない。
リスティング広告は、キーワード選び、USP、ランディングページのクリエイティブや在庫管理との連動などがかみ合って初めてうまくいく手法であり、手間のかかるリスティング広告の運用を補ってくれるのが自動入稿システムなのだ。