読書 高橋 源一郎 『ニッポンの小説 百年の孤独』

高橋 源一郎 著 『ニッポンの小説 百年の孤独』 ちくま文庫 を読む

”ニッポンの小説”
ニッポンの小説

「ニッポンの近代文学、百年の孤独」(プロローグ)

19世紀後半、封建的な世界が崩壊して、新しい政府が誕生した時、この小さな東の国は、とてつもない変化を被ることになりました。そして、生き残るために、西洋社会の文物を輸入されました。かくして、科学技術や社会システムが、そして文化が輸入されました。その中にはもちろん、「文学」も含まれていました。

重訳というのはとても興味がある現象です。一つの言語から、もう一つの言語へ、そこからさらに次の言語へと、移し変えられる度に、元の言語が持っている困難さはすり減っていき、言葉は透明になり、伝えやすいものだけが伝わることになります。あるいは、誰にでも使える言葉へと変わっていきます。

もちろん、ここでもベンヤミンが「翻訳者の使命」と呼んだ、あの有名なフレーズは有効です。

「ある容器の二つの破片をぴたりと組み合わせて繋ぐためには、両者の破片が似た形である必要はないが、しかし細かな細部に至るまで互いに噛み合わなければならぬように、翻訳は、原作の意味に自身を似せてゆくのではなく、むしろ愛をこめて、細部に至るまで原作の言いかたを自身の言語の言いかたのなかに形成してゆき、その結果として両者が、ひとつの容器の二つの破片、ひとつのより大きい言語の二つの破片と見られるようにするのでなくてはならない。」

ベンヤミンの、翻訳に関するこの断言は、おそらく、完成した言語、長い伝統の果てに成立した言語間の受け渡しについていわれたものです。しかし、そうではなく、完成した言語から、新しい言語へ、未だ始まっていない言語への受け渡しにこそ、この断言は、より一層あてはまるような気がするのです。そこでは、単に一つの作品から、もう一つの作品へ「翻訳」が行われるのではなく、「翻訳」を通して、規範となる「文」そのものが、元の言語の反対側に産みだされるのです。

「ニッポン近代文学」という集落で話されてきた言語は、国木田独歩の「文」、それにの先駆たる、二葉亭四迷の「文」から流れ出たものです。それは、ほとんど変化することはありませんでした。
不思議なのは、「ニッポン近代文学」という集落は、実に多くの「外部」の侵食を受けているのに、つまり、外国文学や、文学以外のさまざまなものに影響を受けてきたのに、孤立しているように見えることです。

ところで、「文学」とは何でしょうか。
「文学」とは、遠くにある異なったものを結びつける、あるやり方のことです。なぜなら、「文学」は、言語だけで出来ていて、しかも、言葉とは、要するに、遠くにある異なったものを結びつけるために出来たからです。
言葉は、物と観念を結びつけます。名前と事象を結びつけます。存在しないものと存在するものを結びつけます。関係づけることが不可能に見えるものを、いとも簡単に関係づけます。
我々がコミュニケートするためには、言語が必要なのです。もちろん、言語以外にも、コミュニケートするツールはあります。映像がそうです。貨幣もそうです。いや、貨幣は言語そのものなのです。そして、資本主義社会では、貨幣も言葉も、絶えず価値の変動に晒されなければならない、というわけです。
だから、『資本論』に「文学」の一切が書いてるということもほんとうです。言葉というものが、どうやって産み出され、異なった共同体をどう結び付け、どう流通し、それが集まって巨大な塊になり、その結果、一つ一つの言葉を抑圧するようになるのか、それらはすべて、あの本の中に書いてあるのです。

二葉亭四迷が作った「器」に、若者たちが「文学」を充填しはじめる時が来ました。
いくつもの言語が存在するということは、つまり、翻訳というものが必要であるということは、「器」は絶えず壊れ、それ故、絶えず修復されなければならない、ということを意味している。
言葉が混乱の只中に陥った時、はじめて、我々は「文学」を必要とするようになった。「文学」とは、「器」を作り、そして壊す、その一連の行いそのものではないでしょうか。

読書 桜井 英治 『贈与の歴史学』 中公新書

桜井 英治 著 『贈与の歴史学』を読む。

”贈与の歴史学”
贈与の歴史学

日本の贈与は義務感にもとづいてなされる傾向がつよい。日本の民法が西欧諸国のそれと異なり、贈与の撤回を認めていないのもそのためだ。
そのような贈与のあり方は、日本の歴史の中で中世、鎌倉・室町時代(12世紀から16世紀)、武士が新たな支配階級として勃興してきた時代までさかのぼる。この時代、極端な功利的性質を帯びるのである。
中世は自給自足の時代などではなく、多くの商品が流通し、それらの需要と供給のバランスによって決定される市場経済が成立していた。
京都には、土倉とよばれる多数の金融業者が店舗を構え、貸出だけでなく、大口小口の預金者から資金を集め、営業利益に応じて利息を払うという、銀行さながらの業務をおこなっていた。また、権利(物権、債権)が中世ほど容易に移転しえた時代は少ない。一片の借金証文が債務者の知らないうちに金融業者間で転売され、いつの間にか見ず知らずの債権者の手に渡っているなど普通におこりえた。
市場経済にみられた合理的思考や計算、打算といった観念は、贈与の領域にも深く浸透していた。
思うに贈与経済と市場経済とは、一般に信じされているほど対立的なものではないのだろう。対立的に見えるのは、未開社会と近代資本主義社会しか分析せず、その中間に位置する多様な社会の分析を省いてきたことからくる偏見である。
贈与の功利的性質とか市場経済との親和性への反論は、、純朴な贈答が典型的な贈与の姿であるというもの。
この反論は、半分は正しく、半分は間違っている。ある時代のもっとも進んだ部分が、次の時代に跡形もなく消え失せてしまうことは、歴史にはしばしばおこりうる。
同じ贈与慣行のなかにも時代によって変わるものと変わらないものがある。かつて、フェルナンド・ブローデルは、人類の中長期的な歴史の営みを下層のもっとも変化の緩慢なステージから順に「物質文明」「市場経済」「資本主義」という三層構造として概念化したが、贈与の歴史においても参考になる。主に民俗学が注目してきた食品の贈答が「物質文明」の層に関わる事象とすれば、本書は、「資本主義」の層に相当する。そこに見られる贈与の振る舞いは自由奔放で、限りなく商取引に近づくが、それでも両者が完全に同化してしまうことだけはついになかった。最後まで踏み越えられることのなかったこの一線こそ、贈与を贈与たらしめている原理の心髄が潜んでいる。

1.4つの義務

マルセル・モースの問い
フランスの社会学者マルセル・モースの『贈与論』の中で、贈与をめぐる義務として次の三つをあげた。

  1. 贈り物を与える義務(提供の義務)
  2. それを受ける義務(受容の義務)
  3. お返しの義務(返礼の義務)これに、モーリス・ゴドリエによって、くわえられた第四の義務
  4. 神々や神を代表する人間へ贈与する義務(神に対する贈与の義務)

「お返しの義務」
贈答という言葉自体が返礼(答)の存在を前提にしている。このようにそっれを受け取った者に対して返礼を義務づける贈与の性質を互酬性(reciprocity)とよぶ。贈り物を一種の債務・負債と感じる意識がある。平たくいえば、贈り物を受け取ることにより受贈者には「借り」ができ、贈与者には「貸し」ができる。このような債務意識はどこから来るのか。

「贈り物を受ける義務」
贈り物を受け取ることにより、受贈者には贈与者に対する「借り」ができる。贈与者は、-ときに意識的に、ときに無意識に―その受贈者が自分と特別な人現関係を築いてくれることをもって回収しようとする。受贈者は、その期待に応えてもよいと思えば素直に受け取るだろうし、期待に応えられないと思えば受け取らないか、かりに受け取ったとしても、その期待とは別の対価で返済をおこなうだろう。要するに、人は返済のできる見込みのない「借り」をつくりたくないのである。
個人と個人、あるいは集団と集団が良好な関係を構築・維持しようとするとき、「贈り物を受ける義務」は、もっとも基本的なマナーとなった。

「提供の義務」
この種の贈与を強いるメカニズムは、表面的にはヴァランタリーな体裁をとっている場合でも、実際には暗黙の圧力・義務感のもとで贈られることがおおい。「贈り物を与える義務」の場合、贈与者-受贈者間だけでは完結せず、そこに比量の対象となる他者(同僚や同業者)が登場する。そして、受贈者で実際に同格他者との比較が行われるか、実際に行われないまでも、そのような比量がおこなわれることを恐れる気持ちが贈与者に萌しさえすれば、それはいつでも義務となる。

「神に対する贈与の義務」
神頼みも無償ではかなえてもらえないわけだが、必ずしも多額である必要はない。

2.神への贈与
神に対する贈与が税に転化した例として、古代の祖と調があげられる。

「祖」
祖が土地からの収穫物の一部を初穂として神の代理人たる首長に貢納する慣習から生じた。そして、「未開社会」において「初穂または田祖は、首長(または共同体)の支配する領域の土地を用益する民戸の帰属を確認する最低限の義務であった。」

「調」
古代には毎年9月に伊勢神宮に初穂を奉る神嘗祭、11月に畿内諸社に初穂を奉る相嘗祭(後の12月の月次祭)、2月に全国の官社に幣帛を分かつ祈年祭という3つの重要な祭儀があったが、これらの初穂、幣帛に用いられたのが調である。
これら初穂。幣帛の内訳は繊維製品や海産物、酒、塩など調の品目と一致する。調の納期は、近国が8月中旬から10月末、中国が11月末、遠国が12月末であるのを受けたものである。
海産物の調が主に加工品であったのに対して、生鮮品を含む海産物を天皇の食事用に貢納した制度を贄というが、これも本来は神への捧げものであった。

「初穂・初尾」
農業や漁業から得られた最初の収穫物、初物のことで、初穂は神仏に捧げるべきものとされ、語自体も現代にいたるまで語義を変えずに用いられている。初穂は自然界から得られた恵みの一部を神仏に捧げるものであり、同様の捧げものは汎世界的に見出すことができる。
「人は、聖なる存在から受け取ったものの小部分を、聖なる存在に与え、しかも、自分が与えるもののすべてを、それから受け取るのである。」というのがその本来の意義であった。

3.人への贈与
人に対する贈与が税に転化した事例を見る。
室町幕府は、経済先進地帯である京都に本拠地を占めたことから、総じて土地や農業からの収益よりも、商業・流通・金融・貿易などに大きな比重をおいていた財政の特徴がある。
守護出銭とは、大小守護たちが将軍家に拠出した分担金にほかならない。守護出銭は、将軍家が大きな支出に直面した際に守護が臨時に拠出したもので、賦課方法は、諸大名が将軍に申し出るかたちでおこなわれた。

贈与の強制力
1.有徳思想
有徳銭の起源のひとつは、諸社の祭礼を挙行するために特定の有徳人を指名して祭礼費用を拠出させる馬上役のシステムにあったと考えられる。中世の京都では、五条以北を祇園社と六条以南を稲荷社がそれぞれの祭礼圏として分け合っていた。12世紀の京都には、大きな繁華街が、四条と七条の二か所に形成されており、多くの有徳人を生み出した。馬上役は、この祭礼圏に居住する有徳人の中から「闕(けち)」のあったものを差定する方式をとった。
貧しい民衆に代わって有徳人が祭礼費用を負担し、その祭礼を民衆が享受する。有徳人に徳行を求める民衆意識こそ、中世後期において有徳銭をささえていた主要な倫理的基盤であった。

徳性一揆(土一揆)
有徳銭が民衆に対する間接的な贈与であったとすれば、土倉・酒屋などの金融業者に債務破棄を求めた徳性一揆は、いわば民衆にたいする直接的贈与を求めた運動と位置づけられる。

2.「例」の拘束力(先例・新儀・近例)
中世においては「先例」、すなわり昔から連綿と続いてきたことこそが一般に<善いこと>とされた。その対義語が「新儀」であり、前例のない新しいことを意味した。前例のないことは一般に<悪いこと>と考えられていた。「新儀」が「先例」になるケースとして、それをおこなった人物が彼の家や所属集団に繁栄をもたらすなど、あやかるべき生涯を送った場合であり、彼の「新儀」は、「佳(嘉)例」と呼ばれ、準拠すべき「先例」に転ずる。
もう一つのケースとして、「新儀」が現に何度か続いて行われてしまうことによって、それが既成事実化して「先例」になることもあった。このような日の浅い「先例」のことを「近例」という。「新儀」の恩恵に浴している者はその「先例」化を願い、そうでない者は「先例」を守るためにこれを斥けようとするせめぎあいが、「近例」というステージで戦われた。

3.「相当」の観念と「例」の秩序
「先例」の拘束力は贈り物の品目や数量に及んだ。前と異なる品目を贈ったり、品目は同じでも数量を減らしたりすれば、受贈者側は不満を覚え、ときにはあからさまな抗議に出たこともあった。

「相当の儀」
対人関係において譲れるか譲れないかの判断基準を提供していたのが「相当」とよばれる概念である。
中世の人びとは損得勘定、釣り合いということに非常に敏感であった。彼らは、損得が釣り合っている状態を「相当」、釣り合ってない状態を「不足」とよび、他家との紛争や交際ではつねに「不足」の解消と「相当」の充足を求めた。

贈与における「相当」
何よりもまず、贈り物と返礼が同じものか、少なくとも等価値であることが不可欠である。これを人類学では、対称的返済とか同類交換の原理とよぶ。中世にもいつのころからか夏の恒例行事として瓜を贈りあう習慣が生まれたが、この季節にはどこの家にも瓜が溢れていると知りながら、人びとは瓜を贈り、また受け取りつづけたのである。

贈与と経済
1.贈与と商業
13世紀後半、米で納められていた年貢が、このころを境にして銭で納める形態に変化したのである。これを代銭納制というが、中世日本の経済にとって最大の事件であった。
代銭納制がはじまると、生産物を現地でいったん売却・換金し、それによって得た銭を年貢として中央に送る。生産物は、銭に変えられた時点で商品に変化する。つまり、代銭納制普及以後の日本列島では本格的な市場経済が展開した。
銭よりもさらに軽量で輸送コストの安い決済手段が求められた結果、この時期に出現したのが「割符(さいふ)」とよばれた手形である。
割符には、1個10貫文(今日の100万円)の定額手形が多く、それらは一つ、二つと個数で数えられ、一つといえば10貫文、二つといえば20貫文を指し、定額面であることから人から人へ転々と譲渡されうる紙幣的な機能が期待されていたことを示している。
代銭納制の普及は、商品作物の生産を促した可能性も高い。土地土地の気候に適した、しかも換金性のより高い作物、つまり商品作物を作ったほうがはるかに効率的なわけで、そのような生産者行動を制度的に可能にした。

2.贈与と信用
対称的返済、同類交換の原理が優越していた日本の贈与においては、財政や家計の状態にかかわりなく、つねに贈答品の交換価値に人びとの強い関心が向けられた。
贈り物の使用価値が重視されないのであれば、もはや現物で贈与をおこなう必要はなく、純粋に交換価値だけを運ぶ物品を贈りあえばよいということになる。ここに、交換価値の伝達を唯一の機能とし、それ以外の使用価値をいっさい脱ぎ捨てた物品、すなわち貨幣による贈与がはじまる必然性があった。現金が平気で贈答されることについて、日本の特殊性として指摘されるところだが、中世後期の日本も銭を贈答に用いることにまったく抵抗を示さなかった社会である。
贈り物を持参するさいに折紙(目録)を添える作法があり、銭の贈答の場合も同様であった。贈り物一般に添える折紙を「進物折紙」、銭の添える折紙を「用脚折紙」「鳥目折紙」などとよんだが、もともと儀礼の道具にすぎなかったこれらの折紙が銭の贈答をめぐる計算上の操作に利用された。
用脚折紙には、品目(銭)は書かず、金額だけを「疋」単位で記すことに特徴がある。一疋とは十文のことで、五百疋は、五貫文である。
「疋」というのは、もともと絹の長さの単位だったものが銭の単位に転用されたもので、かつて絹が貨幣として用いられた時代の名残である。12世紀から13世紀にかけて絹の貨幣機能が銭に奪われていくにしたがって、「疋」という単位も絹から銭に引き継がれたのだが、注目されたのは、贈答のような儀礼的な面では「文」や「貫文」ではなく、「疋」を使うのが一般的だった。「疋」はまさに儀礼用単位に特化した。

「折紙の使い方」
いきなり現金を贈ることはせず、まず金額を記した折紙を先方に贈り、現金はあとから届けるのが普通であった。
次に現金が引き渡されたあとで、折紙は清算が済んだ証として受贈者から贈与者に返却された。もっとも簡略な方法は、折紙の金額部分に合点を付して返却するというものである。より手の込んだ方法として、「裏封」といって折紙の裏面に受取文言を記載して返却する方法もあった。

「折紙の経済的機能」
折紙のシステムが贈与者にもたらした第一の利点は、資金の準備がなくても贈与がおこなえるようになったことである。
現金は用意できなくても、折紙を贈ることでとりあえずその場をしのげるようになった。

「贈与の相殺」
折紙を利用した計算上の操作として、もっとも典型的なのが贈与の相殺である。折紙のシステムによって贈答というすぐれて儀礼的な分野にも債権・債務関係と同様の操作が入り込んできた。とくに相殺という手段は、現金の移動がいっさいなく、帳面上の操作、計算のみによって贈与を完結させてしまう点で、贈与の存在意義を根本から脅かすものだった。

 

 

 

読書 那須 省一 『アメリカ文学紀行』

”アメリカ文学紀行”
アメリカ文学紀行

那須 省一 著 『アメリカ文学紀行』を読む

ジョン スタインベック(John Steinbeck )
『怒りの葡萄(The Grapes of Wrath)』
1930年代には大規模資本主義農業の進展や、オクラホマ州はじめアメリカ中西部で深刻化したダストボウル(土地の荒廃による砂嵐)により、所有地が耕作不可能となって流民となる農民が続出し、社会問題となっていた。本作は当時の社会状況を背景に、故郷オクラホマを追われた一族の逆境と、不屈の人間像を描く。

“Seems like our life’s over an’ done.”

“No,it ain’t,” Ma smiled. “It ain’t,Pa.  An’ that’s one more thing a women knows. I noticed that. Man,he lives in jerk -baby born an’ a man die, an’ that’s a jerk -gets a farm an’ loses his farm, an’ that’s a jerk. Women, it’s all one flow, like a stream, little eddies, little waterfalls, but the river, it goes right on. Women looks at it like that. We ain’t gonna die out. People is goin’ on – changin’ a little, maybe, but goin ‘right on.”

避難した先で仕事も食べ物もなく、先が見えない疲労困憊の父親が嘆く。「どうやら俺たちの人生は終わったみてえだな」

これに対し、Maは微笑みすら浮かべてそんな弱気を一蹴する。
「いや、そんなこたないよ。まったくない。お前さん、女には分かるんだよ。これも男との違いの一つだよ。いいかい、よくお聞き。男は浮草のようなものだよ。男はおぎゃあと生まれそして、老いてくたばる。それこそ浮草だ。農園を手に入れて、それを手放す。それも浮草だ。女は違う。あたいたちは延々と続くんだよ。せせらぎのように、渦巻のように、滝のように。そいでもってあたいたちは川になるんだよ。いつもでも流れが絶えない。女はそんなふうに物事を考えるんだよ。あたいたちは死に絶えなんかしないよ。人はずっと生きていくんだよ。多少変化はするかもしれない、たぶんね、でも、ずっと続いていくんだよ」

読書 畑村 洋太郎 『決定版 失敗学の法則』 文春文庫

畑村 洋太郎 著 『決定版 失敗学の法則』を読む

"失敗学の法則"
失敗学の法則

第1章 失敗学の基礎知識
①逆演算で失敗の「からくり」がわかる
目に見えている「結果」から、まだ見えていない「原因」に辿っていくことを失敗学では、「逆演算」と呼びます。失敗学では、「原因」を「要因」と「からくり」の2つに分けて考える。つまり、失敗の構造を「要因」「からくり」「結果」の三要素から構成されていると考える。失敗学における逆演算を正確に記せば、「結果」から「要因」と「からくり」という見えない二つのものを逆に辿って探していくということになる。

(第一段階) 分解
失敗の「原因」をしるために「からくり」と「要因」に分けて考える。
(第二段階) 逆算
「からくり」の正体を知るには「からくり」の構造を仮設する。逆演算の考えを入れ、出力から入力を逆算する。
(第三段階) 推測
「からくり」に架空の「要因」を入れてみて、架空の「結果」を推測する。(第四段階) 一般化
「要因」「からくり」「結果」の関係を一般化し、予測・類推につなげる。

②「失敗の脈絡」分析で失敗を予測
逆演算によって一般化した失敗の「要因」「からくり」「結果」の関係のことを失敗学では「失敗の脈絡」と呼ぶ。「失敗の脈絡」を使って類推すれば、別の分野でも、どんな失敗がどういう経緯で起こるかを予測することができる。

③失敗は確率現象
労働災害の発生確率に関する法則に『ハインリッヒの法則』がある。
一件の重大災害の裏には二十九のかすり傷ていどの軽微な災害があって、さらにその後ろには、ヒヤリとしたりハッとして冷や汗が流れるような事例が三百件潜んでいるというものである。
失敗についても、ハインリッヒの法則と同じことがいえる。同じ要因があっても致命的な大失敗が起こる確率は三百三十分の一であり、軽度の失敗が起こる確率は三百分の二十九で、残りの「ヒヤリ」体験は、実際にはたいした失敗にはつながりません。重大災害は、三百分の一という極めて低い確率で起こる確率現象なのです。

④失敗は拡大再生産される
同じ「失敗の脈絡」で失敗が繰り返されると、させん状に悪循環を起こし、その打撃はどんどん深刻化していく。これを「失敗の拡大再生産」と呼ぶ。

⑤千三つの法則
日本には昔から”千三つ”という言葉があって、「何かの賭けをしたとき、うまくいくのは千に三つぐらいしかない」という意味で使われてきたが、新たに挑戦したことが成功する確率もまさに”千三つ”です。
ゼロから新規事業をスタートさせるにあたり、少なくとも10個くらいの要素(企画内容、技術、事業を興す本人の資質、資金、設備、場所、人材、流行、社会の経済状況、人脈)がすべてうまくいって初めて、事業が成功する。事業の成功には、成功率2分の1の要素が10個必要だとするとその成功率は、2分の1の10乗、つまり1024分の1になる。

⑥「課題設定」がすべての始まり
無駄な失敗を防ぎ、新たな創造の種を生み出すために、まず最初にすべきことは、自分自身の中に課題(問題意識という言葉でも置き換えられます)を持つことです。
課題とはすなわち、「自分はいま何をすべきか」という、行動を起こすときのテーマです。そして、それを解決する方法を考える。この「課題設定」こそが、失敗に直面したときの判断力を、そして新たなチャレンジをしようというときの企画力を鍛えるのです。
「課題設定」のコツは、なにかひとつの事件や事象をよく観察することでうs。そして、そこにはどんな問題が起きていて、それに対して自分は何をしたらいいかを考える。そのひとつひとつが課題なのです。

⑦「仮想演習」がすべてを決める
新たな創造のための第一歩である「課題設定」が済めば、その後は「仮想演習」でその課題をいかに解決すればいいのかを思考することが重要です。他の誰かがやっていることを観察したり、頭の中で「あの場合はこうすればいい」「あの場合はこうすべきだ」などと考えながら、起こりうる失敗を想定していると、いろいろなことが見えてきます。
この「仮想演習」は、失敗学においてかなり重要な意味を持っています。

第2章 失敗の理解の不可欠な知識
⑧暗黙知を生かす
何かひとつのことを行うとき、その分野に関わっている人なら誰もが必ず考えていること、無意識での着眼点というものがある。そして、そこから失敗を防ぐための、あるいは成功につながるいろいろな原理を導き出します。それらはあえて文章に書かれることもなく、多くの場合は言葉にして伝えられることもありません。しかし、それらはその分野に関わっている、誰の頭のなかにも厳然として存在している、いわば「暗黙知」なのです。
とくに失敗に関する「暗黙知」は、あからさまにわかるような形にすること、つまり「形式知」に変えることがとても重要です。というのも、失敗に関する情報はいつも隠れやすくなかなか表に出ないという性質がありますし、時間が経ってしまったり、人から人へと伝えられていく間に、消えてなくなってしまうからです。したがって、失敗の暗黙知を見つけたら、積極的に文章や図式、数値などにして形式知に変え、記録することが重要です。

⑨質的変化を見落とさない
ある産業が急激に成長したり、ある会社が莫大な利益を上げるようになったとき、その量的変化がどういう意味を持っているのかを客観的に考え、同じものを生産し続けるのがよいのか、転換期はいつなのかを判断して、組織や運営方法の構造を改善していかねば、その産業や会社は膨張を続け空中分解を起こし、壊滅的な打撃を受けることになる。

⑩チャンピオンデータは闇夜の灯台
「チャンピオンデータ」とは、「どうやったのかはわからないが、とにかくすでに他の人がその目標を達成している状態」のことで、闇夜を灯り無しで歩くような創造の仕事においては、彼方に見える灯台のような希望の光になるのです。

⑪「山勘」は経験のエッセンス
「暗黙知」とともに失敗を防ぐ大きな力となるのが「山勘」です。
山勘というのは、もはや「知」でもなく、その日地がやってきたすべての経験や行動の結果体得した、状況さえ入れれば答えが直接出てくるような超高速の判断回路のことなのです。

⑫すべてのエラーはヒューマンエラーである
人間のやることに「完璧」はない。人間の動くところには必ず失敗が起こる。これは、失敗学の根本的な考え方です。

⑬新規事業は隣接分野でしか成功しない
新たな分野というのはとても魅力的に見えます。それが将来的に伸びる可能性を持っていたらなおさら、飛びつきたくなるでしょう。そして、新たな挑戦をするには企業風土を変える必要があります。しかし、実際には企業風土を変えるのは至難の業です。しかも、飛び込んだ場所には既存の勢力がいる。そんなところで成功するのは、ほとんど無理です。

 

 

読書 島田 裕己 『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』

島田 裕己 著 『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』を読む。

”浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか”
浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか

仏教には、「法華信仰・密教・浄土教信仰・禅」という4つの流れがある。

<法華信仰>
大乗仏典の一つである『法華経』に対する信仰に発している。中国で天台宗を開いた天台智顗は、釈迦の教えを整理して、仏典がどのような順番に成立してきたかを明らかにする「教相判釈」の作業を行い、『法華経』を最高位と位置づけた。そのことが法華信仰の成立に大きく影響した。智顗は、大乗仏教以前の「部派仏教(小乗仏教)」の段階では、修行を経た人間だけが悟りを開いて仏になれると説かれたのに対して、『法華経』では、誰でもが仏になれると説かれている点を強調した。

この天台の教えを日本に最初に伝えたのが最澄になる。(法華経信仰は、飛鳥時代の聖徳太子『法華義疏』(『法華経』の解説書)に遡る。)
法華信仰において『法華経』が最高位の仏典に位置づけられ、「諸経の王」とも評されたことから、『法華経』の経巻自体に対する信仰も生まれる。(厳島神社の「平家納経」)

<密教>
インドにおける大乗仏教の発展のなかで、仏教信仰が土着のヒンデゥー教と習合したことから生まれた。密教は神秘的な力を駆使するところに特徴があり、護摩を焚くなどさまざまな儀礼、「修法」が開拓された。密教の立場からすれば、他の大乗仏教の教えは、「顕教」としてとらえられる。

<浄土信仰>
来世信仰の一種で、死後に西方浄土に生まれ変わることを願うものである。浄土というとらえ方は、インドの仏教にはないもので、中国から日本に伝えられた。
インドでは、輪廻の繰り返しによって苦がもたらせることを強調し、生まれ変わりを肯定しない。

<禅>
さまざまな宗教で実践される瞑想の一種で、直接にはインド出身の僧侶、達磨に遡るが、智顗の著作『摩訶止観』の影響も大きい。禅の受容が限定的なものになったのは、座禅という実践を必要とするからである。禅は、他の3つの流れとは異なり、現世利益や浄土への往生という実利的な効果をもたらすものではない。むしろ精神的な安定や生活規範として機能するもので、鎌倉時代以降の武家に好まれた。

<神仏習合>
神仏習合は、土着の神道と外来の仏教とが、お互いに異なる役割を果たしながら融合し、習合していった現象のことをさす。
それは、他の宗教においても見られる「シンクレティズム(諸経混淆)」の日本的なあらわれだが、神道と仏教が独自性を保持した点に特徴がある。
東大寺の大仏建立される際に、宇佐八幡宮の八幡神が勧請された。(手向山八幡宮)
興福寺(藤原氏の氏寺)は、春日大社(氏神)と密接な関係をもってきた。

<本地垂迹説>
日本の神々は実は仏教の仏がその姿を地上にあらわしたものだとするのが、神仏習合の現象を理論化した。
(興福寺の仏=春日大社の祭神の本地仏)

<廃仏毀釈>
日本固有の神道の純粋性を強調する国学者(平田篤胤)や神道家が、神道の世界から仏教的なものを一掃しようとする動き(神仏分離)が具体化した。仏教そのものを排斥しようとする過激な「廃仏毀釈」の嵐にさらされることになる。

<天台宗>
「日本人の無宗教標榜の根底にある『天台本覚論』」
自然に存在する草木でさえ成仏できるという「草木成仏」の考え方がある。高僧の良源に仮託された『草木発心修行成仏記』という短い文章で、植物が芽生え、成長し、やがて花や実をつけて枯れていくまでの過程が、仏道修行び過程と重ねあわされ、さらには草木はそのままで成仏していると説かれた。
本来仏教は、開祖である釈迦が家庭を捨て、世俗の生活を離れて出家したように、むしろ現実の価値を否定する「現世拒否」の姿勢を特徴としている。
ところが、草木成仏の考え方に代表される天台本覚論は、現世を全面的に肯定する思想であり、その点で本来の仏教の教えとは対極に位置するものだが、日本ではむしろこちらの考え方の方が広く受け入れられたのだった。
ただ、あらゆるものがそのまま成仏しているということであるなら、改めて仏道修行をする必要もなければ、戒律も必要もなく、さらに仏教の教えそのものさえ意味をなさないことになってしまう。それは無条件に現実を肯定することで、宗教そのものの存在意義を否定すること結びついていく。

<真言宗>
真言密教の第一人者 青龍寺 恵果は、空海を一目見て、笑みを浮かべて喜び、「我、先より汝が来ることを知りて、相待つこと久し。今日相見ること大いに好し、大いに好し。報命つきなんと欲するに付法に人なし。必ず須らく速やかに香花を弁じて、灌頂壇に入るべし」と述べたとされる。法を伝えるに値する人間が周囲にいなかったので、恵果は空海があらわれるのを待ち望んでいたというのである。空海は、この恵果から胎蔵界と金剛界の灌頂を受け、さらには伝法灌頂を受けて、阿闍梨の位を授けられる。あわせて密教関係の経典や仏像、法具などを調達し、それを日本にもたらすことに成功する。空海によって初めて密教は体系化された形で日本に伝えられることとなった。

<浄土宗>
法然の教えは、かなり斬新なものであった。「南無阿弥陀仏」の念仏さえ唱えれば極楽往生がかなうと説いたからである。
法然は、一般の仏道修行を「聖道門」と呼び、それをもっぱら念仏によって往生を果たす「浄土門」と対比させた。聖道門が、誰もが簡単に実践することができない「難行」であるのに対して、浄土門は、誰もが実践できる「易行」である。要するに法然の教えは、出家得度して、長い時間をかけて修行を行わなくとも、誰もが簡単に念仏さえ唱えれば悟りを開き、往生できると説くものだった。

<浄土真宗>
『歎異抄』は、親鸞の死後に、弟子の唯円が、親鸞のことばとして書き記したもので、本人が直接に筆をとったものではない。しかも唯円は、自分と異なる形で親鸞の教えを理解しようとする人間たちを批判するために『歎異抄』を編纂した。
『歎異抄』の中で語られた「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人おや」の「悪人正機説」が親鸞の思想の核心とされる。

<禅宗>
禅は瞑想法の一種であり、インドから中国に伝わった。
中国各地に禅の修行を行うための禅院が次々と建てられていき、南宋の時代には、禅家五家(潙仰、臨済、曹洞、雲門、法眼)が成立し、江南の丘陵地帯や山麓地帯にあった禅宗の大規模寺院が「五山」に定められた。
<臨済宗>
常に戦闘に従事し、死と隣り合わせの武家にとって、死の覚悟をしながらの修行にいそしむことを説く禅は、相性の良いものであった。
南都六宗や天台、真言両宗は、朝廷や公家と密接な関係をもち、そうした階層出身の僧侶でなければ、出世がかなわず、武家出身の僧侶は禅宗に行くしかなく、禅宗と武家とが密接な関係を結ぶ要因となった。
禅が武家に受容され、大規模な禅寺が建立されることで、鎌倉末期には、南宋の五山をモデルとした五山の制度がつくられていく。

足利義満の時代には、南禅寺を別格として、京都五山、鎌倉五山が確立される。
京都五山:天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺
鎌倉五山:建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺

<曹洞宗>
僧侶は、必ず剃髪し、墨染めの衣を身にまとう。
強い影響を受けた中国の『禅苑清規』には、悟りを開いて亡くなった僧侶くための「尊宿葬儀法」と、まだ修行段階にありながら亡くなった雲水のための「亡僧葬儀法」の2つの葬儀のやり方が示されていた。
後者が一般信徒の葬儀に応用された。もともと雲水のための葬儀の方法であったために、そこには剃髪して出家したことにし、その上で戒律うぃ授け、さらに戒名を授ける部分が含まれている。つまり、死者をいったん僧侶にするわけである。死後に出家するというのは、仏教の伝統的な考え方からはずれるが、この方法は定着し、曹洞宗以外の他の宗にも伝わっていく。その点で「葬式仏教」の生みの親ということになる。

<日蓮宗>
「南無妙法蓮華経」の題目を唱えれば、現世において利益がもたらされるという信仰が京都の町衆のこころをつかんだ。

 

 

読書 寺田 寅彦 『天災と国防』 講談社学術文庫

寺田 寅彦 著 『天災と国防』を読む。

”天災と国防”
天災と国防

解説・畑村洋太郎
どんな事柄や現象を見る時も同じだが、対象の正しいモデルを自分の中につくるときに欠かせない必須の視点というものがある。
大まかにいうとそれは、「構成要素」「マイクロメカニズム」「マクロメカニズム」「全体像」「定量化」「時間軸」という六つの視点である。
まず、第一の視点は構成要素である。これは観察対象がどんな構成要素から成り立っているかを知ろうとする視点である。
第二のマイクロメカニズムは、観察対象が動作をするとき、その現象を起こしている要因を考え、その関連がどのようになっているかをメカニズムとしてとらえる視点である。
そして第三のマクロメカニズムは、全体の構成要素がどのような関連で、どのような支配法則によって動いているかを捉える視点である。
マイクロメカニズムやマクロメカニズムは、観察対象や現象だけに注目する視点である。それが外から見たときに全体としてどのように見えるとか、どのように動くのかを知ることが必要なのである。これが第四の全体像を見る視点である。
第五の定量化は、対象や現象を量的に捉える視点である。これは自然現象や技術などを捉えるときには必須の視点である。
第六の時間軸も、先ほどの定量化と同じく忘れがちな視点である。すべての事柄や現象は未来永劫に不変ということはなく、必ず時間とともに変改している。

「三現」と「三ナイ」
三現というのは、ある事柄や現象の正しいモデルを自分の中につくるために不可欠な観察の基本姿勢である。
具体的には、「現地」「現物」「現人」の三つの姿勢を指す。
要するに「現地」まで足を運び、そこで「現物」を直接見たり触れたりしたり、「現人」(現場にいる人)の話を聴くということである。
インターネットをはじめとする各種メディアが充実しているので、それらの情報を見るだけでかなりのことがわかる。
しかし、ここには大きな落とし穴がある。「百聞は一見に如かず」で単に頭に仕入れる事実と実際に現地に行ったりして生で触れる事実が大きくちがうことも往々にしてあるのだ。
メディアや専門家などw利用しながら対象とする事柄や現象を理解する方法はいかにも楽そうに見える。しかしこれは、大きな錯覚である。
私はこのような姿勢を「三ナイ」と呼んでいる。
「見ない」「考えない」「歩かない」という意味で、これらは三現の対極にある観察姿勢である。三ナイは手っ取り早い方法のように思われがちだが、もともと大きな問題があるのだ。そもそも三ナイには本当の知識を体得するために必要な、目的意識を持って行動したり、実際の体験の中で自分自身でなにかを感じたり自分の頭で主体的に考える姿勢が欠けているのである。

「三日、三年、三十年、三百年」(人間の法則)
人間の忘れっぽさを考えるときには「三」という数字がカギになる。
「三日坊主」という言葉があるように、人間は同じことを「三日」も繰りかえすと大抵は飽きてしまう。自分が被災者になって手痛い被害を直接受けたときには、さすがにもう少し記憶が長続きするが、それでもふつうは「三年」もすればだんだんと忘れていくようである。
組織の場合になると、個人とちがって記憶がもう少し長続きする。ただし、組織には、長く活動を続けている間に必ず人間の入れ替わりがあるという特徴がある。そこで記憶の減衰が必ず起こる宿命にあるのだ。
大きな事故やトラブルの記憶でも、たいていは「三十年」もすると減衰していくのが一般的である。

一方、社会の場合は、個人や組織のときとちがって被災の記憶は記録としてかなり長く残る。それでも一定の期間を過ぎると、個人や組織のときと同じように過去に経験した危険をだんだん数のうちに入れて活動をしなくなる傾向があることには変わりない。社会の中で大きな事故やトラブルの記憶が減衰するのは、だいたい「六十年」程度である。そして、その状態が続いて「三百年」もすると、社会の中でそのことは「なかったこと」として扱われるようになる。さらにいうと「千二百年」も経つと、そのことは文書に書かれている場合を除いて、社会の中で完全に「なかったこと」になってしまい、人々の意識から完全に消え去ってしまうのである。

「もう津波は天変でも地異でもなくなる」。これは地震に対しても同じだが、「過去の習慣に忠実で」、「新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来る」ものとして見る必要がある。

「内部基準」を備える
いざというとき使える知識を身につけることを勧めているのである。
ここでいっているのは、自分の行動を自分で決めるときに欠かせない「内部基準」を備えろということである。これを「漠然たる概念でもよいから、一度確実に腹の底に落ち着けておけば、驚くには驚いても決して極度の狼狽から知らず知らず取り返しのつかぬ自殺的行動に突進するようなことはなくてすむ」と書いている。
一般的な安全対策は「マニュアル主義」で行われているが、寺田が指定しているのこのやり方の危うさである。「このルートを通れば安全」として通るべきルートを示し、それ以外は一切通ることを許さないのがマニュアル主義の考え方である。このやり方でも安全は確保できるが、これには環境の変化などなにかの拍子にそのルートが使えなくなると、途端に無力になるというもろさがある。それはマニュアルを使う人が与えられたルート、つまり「外部基準」だけに頼っているからで、これでは変化が生じたときの新たな状況にまったく対応できず、なにもできない思考停止状態に陥ってしまう危険がある。
この状態で再び外からなんらかの支持が与えられると、それがおかしなことでもその人はなんの疑問も持たずにそのとおりの行動を始めてしまうこともある。
想定外の問題が生じたときに自分の行動を決める内部基準がないから、外から入ってくるおかしな情報に簡単に振り回されてしまうのである。

福島第一原発について
技術論でいうと、原子力はかなり安全なものになってはいるが、基本的な視点が欠けているように見える。それは安全の実現手段は、基本的に「制御安全」に依存し、「本質安全」の考え方を取り入れられていない点である。失敗やトラブルが起こったとき、自動的に安全の側に働くような仕組みをつくらず。制御技術によってコントロールしよとしていたのである。制御安全のみに頼る方法は、想定外の問題が起こったときには非常にもろいが、このような基本的な問題があるのに、建前としての安全を真実安全だとして議論していたことが問題なのである。
安全対策というのは、危ないことを前提に動いているから効果のあるものになる。安全であることが前提になると、管理が形式的なものになって意味をなさなくなってしますのだ。それでも国から与えられた外部基準、すなわちマニュアルがあればなんとかなると思うかもしれないが、マニュアルは想定している条件の中でのみ力を発揮する。今回のような想定外の問題が生じたときには非常に無力なのである。
想定外の問題が起こったときに正しく対処を行うには、進むべき道を自分で考えるための内部基準が必要になる。
この事故は想定外の問題に対処できるための内部基準を備えることを怠った「組織不良」によるものであるのは間違いないのである。

災難を成長の糧にする
「人間の動きを人間の力でとめたりそらしたりするのは天体の運行を勝手にしようとするよりもいっそう難儀なこと」なのである。
治山や治水、砂防などにかかわっている土木技術社の間では、「既往最大」といって過去に認められている実際に起こった災害を想定して対策を行うのが暗黙の常識になっている。
じつは福島第一原発で想定している津波が「低すぎるのではないか」という指摘はかなり以前からあった。貞観地震の研究者が根拠を示しつつ、東京電力や国に対して危険性を伝えていたのである。この忠告が無視されたのは、人間の法則のなせる業である。無視した人たちに特別な悪意があったとは思えないが、「見たくないものは見ない」「考えたくないものは考えない」かた、忠告を聞いても心が強く動かされることなく、結果として黙殺してしまったということなのだろう。

 

 

読書 竹森 俊平 『1997年-世界を変えた金融危機』

読書 竹森 俊平 著 『1997年-世界を変えた金融危機』を読む。

”1997年- 世界を変えた金融危機”
1997年- 世界を変えた金融危機

第2章 危機を読み解く~「ナイトの不確実性」というブラックホール
グリーンスパン議長は、ナイトのオリジナルな議論を忠実に紹介している。つまり、経済における不確実性には、「その確率分布を推測できる不確実性(これをナイトは「リスク」と呼ぶ)」と、「その確率分布を推測することが不可能な不確実性(これをナイトは「真の不確実性」と呼ぶ)」という二種類がある。
ナイトはその区分を自分の理論の出発点とした。

2 ナイトの原議論
なぜ「利潤」がうまれるのか
フランク・ナイトは、シカゴ大学で45年にもわたって教鞭をとった名物教授であった。大学教授に「変わり者」は少なくないが、彼はその中でも傑出していた。

名著として知られる『リスク、不確実性およぶ利潤』をナイトはコーネル大学での博士論文として完成させた。ナイトがここで解明したかったのは、競争的な経済において、なぜ「利潤」が存在するかという点であった。

そもそも、市場という場所で買い手(たとえば消費者)と、売り手(たとえば企業)の間には対立関係がある。企業は消費者にたくさん支払わせて、利潤を最大にしようとする。消費者は企業に最小限を支払って、満足を最大にしようとする。この両者の利害の対立は、「価格メカニズム」によって調整される。価格がうまく調整されれば、最終的には、(1)消費者はその価格を見て買いたいだけ買い(満足の最大化)、(2)企業はその価格を見て売りたいだけ売り(利潤の最大化)、しかも(3)企業による商品の供給と、消費者による商品の需要とが一致する(需給均衡)。
これが経済的な安定(均衡)である。企業同士が熾烈な価格競争を行えば商品価格が下がり、最終的には賃金、地代、原材料費、などを含めた生産コストを超過した企業の取り分である「利潤」は消滅する。

「リスク」と「真の不確実性」
将来に見込まれる収入を目指す企業は、外れるかもしれない予測、つまり不確実性のもとで行動しなければならない。しかし、不確実性には二つのタイプがあり、そのうちひとつのタイプだけが「利潤」を生む要因となる。
二つのタイプのうち、第一のタイプは、それが起きる可能性についての「確率分布」を思い描けるものだ。ナイトは、これを「リスク」と呼ぶ。
他方で第二のタイプは、それが起こる「確率分布」を思い描けないものである。ナイトはこれを「真の不確実性」もしくは「不確実性」という。

「サイコロの目」、「自動車事故」は、確率分布を想定できる事象である。そのようなタイプの不確実性が「リスク」である。不確実性が「リスク」であるためには、「確率分布」について理論的な推測が可能か、類似した現象が過去に数多く発生しており、データからの統計的推測が可能でなければならない。ナイトに言わせれば、「リスク」には、それをカバーするビジネスが成り立つという性格がある。たとえば自動車保険を売り出す損害保険会社は、過去の統計により自動車事故の一般的確率を予測する。その予測をもとに多数の自動車オーナーと保険契約を結び、「大数の法則」を働かせる。そうやって、保険の支払いをその一般的確率に基づいた金額の近くに収められるので、保険ビジネスが成り立つ。
「リスク」というのは、このように経済にとってさほど問題にならない不確実性である。しかし、経済にとって厄介な問題を生じる不確実性もある。
確率分布を想定できないタイプの不確実性、すなわち「真の不確実性」もしくは「不確実性である」。
サイコロのように理論的に確率を推測できるわけでもなく、そうかといって類似した事象が過去に数多く発生したこともない事象の場合、確率分布を想定できない。

企業家が「利潤を手に入れる」
「利潤」の要因という点について。「リスク」と「不確実性」は異なる。つまり、「リスク」は「利潤」の要因とはならないが、「不確実性」は「利潤」の要因となりえる。
これが著書『リスク、不確実性および利潤』の一番重要な主張である。
生産活動に伴う「リスク」については保険による回避が可能で、保険料は賃金や地代と同じように生産コストの一部として看做すことができる。製品価格を生産コストまで引き下げ、利潤を消滅させるという競争の原理をここで再び当てはめるならば、不確実性のタイプとして「リスク」だけが存在する世界で競争によって利潤はやはり消滅するはずだ。それにもかかわらず、「利潤」が存在するのは、「真の不確実性」があるためである。
「企業家」という特別なタイプの人種のもっとも本質的な行動は、「新しいこと」への挑戦である。「新しいこと」、過去に類例がないことに企業家は挑戦する。「不確実性」と真正面から対決するのである。そして「不確実性」と対決する報酬として、企業家は「利潤」を手に入れる。
結局のところ、「利潤」が社会にとってもつ意味はこれである。それは生産活動の上で避けられない「不確実性」を、企業家が引き受けることに対する報酬なのである。確率の計算ができる「リスク」以外の「不確実性」に遭遇しないで済む安全な生産活動や事業はありえない。それゆえ、「利潤」を求めて「不確実性」を引き受けてくれる企業家がいることではじめて、生産活動と事業が可能にある。

平均的利潤はマイナス
経済学は企業家が成功するチャンスが、失敗するチャンスより高いと断言できるだろうか。そもそも「利潤」とは、「市場の評価による生産物の社会的価値(つまり収入)」が「生産コスト」を超える部分を指すから、「利潤」の発生とは「社会的な純価値」の創造を意味する。
今の質問を言い換えると、経済学は、企業家が平均して社会的な純価値を創造すると断言できるだろうか。

<ショートアンサー>
これは、経済学に答えを出せる問題ではない。なぜかと言えば、「不確実性」の下での行動、つまり成功にしろ失敗にしろ客観的な確率分布が推測できない行動をとっている企業家が、成功する傾向があるか失敗する傾向があるか、客観的な答えを求めることは不可能だからだ。

<ロングアンサー>
これはあくまでも自分の直観だが、企業家は失敗する傾向がある。それゆえ平均的には利潤はマイナスで、企業家は社会的な純価値を創造するより破壊する傾向がある。
理由は、客観的な確率に挑戦する人間は、大抵の場合、ギャンブル好きか自惚れた人間だ。平均的利潤がマイナスという傾向が目立たないのは、「不確実性」を引き受けること以外に企業家が自分の資産や労働時間を投入するという副次的な行動をとっているからだ。その副次的な行動に対する報酬があるために、「利潤」自体はマイナスでも全体としての企業家の手取りはプラスになる。

OpenStreetMap

Software Design 5月号(P158-161)に地図関係の記事がありました。
始まったばかりのOpenSorceのプロジェクトのようです。
Contents Surveyの方法の参考になるかも。

Hack For Japan  第6回復興していく街をOpenStreetMapに記録する

<OpenStreetMapとは>
まずはじめにOpenStreetMapの利点の説明があり、次のようなものがあげられました。

  • ライセンスフリー
  • 誰でも編集可能
  • 印刷して配布可能

普通の地図は著作権に守られ、自由い複製や改変はできませんが、OpenStreetMap ならそれが自由にできることから、”地図のwiki”ということが言えます。最近iOS版がリリースされたAppleのiPhotoにも採用されるなど、商用での採用事例も増えています。日本語の情報はhttp://osm.jp で見ることができます。
ただし、OpenStreetMapは、地図データの入れ物、美しく描画するにはHackが必要とのことです。

<お店の情報を集める>
説明の後、午前中いっぱいはグループに分かれて実際にGPSロガーを持って計測を行いながら釜石のお店を歩いて回り、

  • お店の名前
  • ジャンル
  • 営業時間
  • 電話番号
  • 震災後いつ再開したか

この5点について情報を集めました。各グループには必ず1人は地元に詳しい人がつくようにしました。やみくもに回っても効率的でなく、地元の方ならではの情報が得られるためです。
どのお店の方も忙しい中、快く情報提供にご協力いただきました。3月中旬ではまだ寒い中ではありましたが、訪ねたお店の方に「寒いから中に入って」と言っていただける場面もあり、情報提供に協力いただけることへの感謝とともに復興に向かっていく方々の心の暖かさを感じました。
今回は講師の協力でGarminのGPSロガーを複数台用意できましたが、GPSロガーがなくてもiPhoneやAndroid端末のアプリで代用することも可能です。
例としてiPhoneにはOSMTrack、AndroidにはMyTracks、また、WheelMapというアプリはiPhoneとAndroidr両方に用意されています。

<データの入力>
午後は集めてきたデータを実際にマップにプロットする作業を行いました。
データを登録するにはOpenStreetMapへのアカウント登録が必要ですが、アカウント登録に手間はかかりません。http://osm.org からアクセスし、メールアドレスと希望するアカウント名、パスワードを入力して届いたメールで認証を行えば即座に発行されます。
ほとんどの方は初めての体験であるため、まずはツールの使い方の説明から入りました。編集のためのツールには次のようなものがあります。

  • Potlatch2:Webブラウザで動作するFlashベースびOpenStreetMapエディタ
  • JOSM:スタンドアローンのアプリケーション

今回はブラウザ上で動作するという手軽さからPotlatch2を使用して説明が行われました。午前中に集めてきたGPSロガーのデータは、USBケーブルでPCに接続して吸い上げることができます。
写真に写っているのは、今回の会場の一つであるAOBAの建物を入力しているところです。このようにして建物を入力し、そこに情報をタグとして入力していきます。
“source=survey”というタグを入力すると、自分のGPSログを使用した場合、つまり足で集めたデータということになります。”source=knowledge”は地元の知識や常識という意味になります。
午前中に位置情報とともに集めてきたデータは各項目ごとに次のようなタグで入力できます。

電話番号: phone=+81-120-123-1234
営業時間: opening_hours=hh:mm-hh:mm
ウェブサイト: website=http://foo.com
説明: description=釜石駅から歩いていける
ソース(原典): source=survey
被災して閉じた店舗: end_date=YYYYMMDD
復興してオープンした店舗: start_date=YYYYMMDD

また、バリアフリーの属性を追記することもできます。

wheelchair  = yes
wheelchair:description =  入り口広く、段差なし

このような情報を付加することで、車いすを使用している方にも安心して訪れていただけるお店であるということを示すことができます。
なお、今回使用したPotlatch2はブラウザ上で編集を行うことができる手軽さはありますが、GPSロガーで記録したポイントによる位置の参照ができないという制約があります。ロガーのポイントを元に編集を行いたい場合は、使うタグをあらかじめ知っている必要があるなどの敷居の高さはありますが、スタンドアローンアプリケーションであるJOSMの方が良いとのことです。
最後にディスカッションをしている中で、陸前高田市の津波到達点上に桜を植樹し、震災を後世に伝えるためのプロジェクトである「桜ライン311」という試みをOpenStreetMap上に記録できないかという話も出ました。木のタグは”nature=tree”で表して、木の由来や特徴を残すことができるので、十分可能だとのことです。
ほかにも、各地で紙地図による店舗情報を作成しているところがあります。それらをOpenStreetMapに入力することで、より多くの方と共有できるようにすることも考えられるでしょう。

<イベントの成果>
今回講師として活躍してくれた古橋さんが、このイベントの前後での比較図を用意してくれました。現場でのPOI(Point Of Interest)入力と、横浜の後方支援チームの建物や周辺データの作り込みにより、イベント後は大幅に情報が充実していることがわかりました。
集まっていただいた皆様も自分たちで地図を編集していくことは大いに意義を感じていただいたようで、イベント中に入力しきれなかった情報も後から入力してくださっているようです。

<今後は>
復興へと邁進している今、街の状況は随時変化していきます。自由に編集できる地図でそれを記録して発信していくことは、ITが役に立てることに1つではないでしょうか。
今回のような試みが各地に広がっていくことを願っています。もちろんHack For Japanでも他地域での同様なイベントの開催を検討していきますので、今後ともよろしくお願いします。

日本語の情報は、Open Street Map で見ることができる。
Open Street Map Foundation(OSMF) 日本語コミュニティ

 

 

 

 

 

 

 

読書 三品 和弘 『経営戦略を問い直す』 ちくま新書

三品 和弘 『経営戦略を問い直す』を読む。

”経営戦略を問い直す”
三品 和広 著 『経営戦略を問い直す』

「戦略の目的は長期利益の最大化にある。」
利益は商取引から発生します。その商取引は、売り手と買い手が揃って初めて成立しますが、どちらの側も自由意志の持ち主です。どちらかが一方的に得をするわけではありません。交換に応じることが自らを利すると当事者が判断するからこそ、市場取引が成立するのです。ということは、市場取引が行われる前と後を比べると、売り手も買い手も幸福度が増すはずと考えてよいでしょう。
経済学が経済成長を是とするのは、この理由によります。市場取引のボリュームが増えれば増えるほど、人々の幸福度が増すと考えられるのです。しかも、その陰で誰一人として犠牲になるわけではありません。

「いつでも誰でも戦略」
それなりの頭の良い人が、推論の途中で間違えることは滅多にありません。間違えるとしたら、推論の前提となる仮定の方です。
戦略に関しても、話がおかしくなる最大の原因は、暗黙の仮定にあると言ってよいでしょう。なかでも罪深いのは、「いつでも誰でも」の仮定です。

「戦略の使命」
変わりにくい長期利益、それを10年単位でいかにシフトアップさせていくか、それが本当の戦略だと私は考えています。
本来は安定している水準をいかの上に向かって変異させるのか、または突然の転落をいかの防ぐのか、これぞ戦略を要する難業です。

「何が何でも成長戦略」
しかし、考えてみると、これは何とも奇妙な表現です。「成長戦略」と口にした瞬間、成長が「目的」であると認めることになってしまうからです。企業や事業の規模、すなわち売上高は、本当に自らの意思で伸ばしていくものなのでしょうか。
売上目標が先に立つと、逆説的ですが、顧客が見えなくなります。顔の見える顧客に購入を押し付けるのが理不尽であることぐらい誰にもわかるので、どうしても目標は顔の見えないマスの顧客に向かうことになるのですが、それは「どこかの誰かが買ってくれるだろう」と高を括るようなものです。そこから先は、無責任な数字が独り歩きを始めます。実績が目標に届かなければ、景気を始めとする外部要因にいくらでも理由を求めることができるので、コミットメント(何が何でも達成するという公約)などとはおよそ縁のない世界が現出するのです。
この図式は、新な事業に手を染める場合にも成立します。自らの成長を「目的」とする限り、相手のことは二の次にならざるを得ません。「機」があるのかないのかは、おかまいなし、ひたすら自らの都合のみを押し通す。

私の見たところでは、優れた企業は成長を「目的」としません。目を見張るような成長をとげていても、それはかくまで「結果」に過ぎないのです。「目的」は、実質のあるところにあり、それが大きな価値を生み出すから自然に顧客が集まってくる、その結果として成長が実現する、そんな因果になっています。

「戦略の主観性」
神戸大学の経済経営研究所の吉原秀樹先生は、戦略の本質を「『バカな』と『なるほど』」と表現されました。世の人々が「理」と思い込んでいつ通念や慣行に潜む嘘を見破ることこそ戦略の第一歩があるというわけです。
戦略の真髄は、見えないコンテクストの変化、すなわち「機」を読み取る心眼にあると言ってよいかと思います。主観に基づく特殊解、それが本当の戦略です。

1.「立地」
「立地」が悪ければ、他の努力がすべて水泡に帰する。
事業を構えるなら、需要があって、供給がすくない「立地」を選ぶ。(照準)

利益率の長期低落傾向が物語る「立地」の荒廃
企業の命運を分ける戦略に「立地替え」がある。

2.「構え」
立地に続いて思慮を要するのが、店の構えです。
立地に次ぐ準固定要素、それが構えの本質です。

「垂直統合」
アルフレッド・チャンドラー先生が、「組織は戦略に従う」という命題を打ち立てられたとき、戦略は三択問題と想定されました。
21世紀初頭のコンテキストを踏まえて言えば、
①経営資源を既存事業のグローバル展開に振り向けるのか、
②新規事業の創造による多角化に振り向けるのか、
③既存事業をベースとした垂直統合に振り向けるのか
そんな選択です。どれにも手をつけるのは戦力の分散を招きます。だから選択になるのです。

「地域展開」
事業の地理的な展開、すなわち日本だけで事業を営むのか、海外に出るならどんな形で出ていくのかの選択です。

3.均整
最終的な有効性は、やはりボトルネックで決まります。
いくら優れた立地を選んでも、いくら秀でた構えを作っても、他にシビアなボトルネックが存在すればすべては台無しです。その意味では、戦略はラインバランス、すなわち均整にあると心得るべきでしょう。

「戦略は人に宿る」
戦略とは、「本質的に不確定」な未来に立ち向かうための方策です。
予想外の新しい展開にリアルタイムでどう対処するのか、それが結果として戦略になる。これが私の暫定的な結論です。
人の対処の仕方には秩序があるのもです。判断のベースは異なる人の間ではバラバラであっても、個人の中においては比較的安定しています。
そういう人に固有な判断のベースは、
①観(K)   (世界観:歴史観:人間観:事業観)
②経験(K) (手口)
③度胸(D) (胆力)
だと捉えています。
事業を取り囲む今という時代をどう読むのか、それさえ定まれば、なすべきことは自ずと決まります。仮定は人によりけりでも、推論のプロセスを間違える人は少ないからです。その意味では、戦略の本質は「為す」ではなく、「読む」にあります。経営者の持つ時代認識こそ、戦略の根源をなすのです。

読書 池田 信夫 『イノベーションとは何か』

池田 信夫 『イノベーションとは何か』を読む。

”イノベーションとは何か”
池田 信夫著 『イノベーションとは何か』

「イノベーションとは何か」と題したビジネス書はたくさん出ているが、そのほとんどは過去の成功事例を列挙して結果論をのべたものだ。たとえば、「スティーブ・ジョブズは大好きなことをしたからイノベーションを実現した」という事実が正しいとしても、そこから「大好きなことをすれば常にイノベーションが実現できる」という法則は導けない。成功事例を事後的に説明することは容易だが、理論なしにデータをいくら集積しても、どうすれば成功するかは事前にわからないのだ。

イノベーションを理解するという目的にそって使うのが本書の特徴といえよう。本書の柱となる仮説を最初に列挙すると、以下のようなものだ。

1.技術革新はイノベーションの必要条件ではない:
すぐれた技術がだめな経営で成功することはまずないが、平凡な技術がすぐれた経営で成功することは多い。重要なのは技術ではなくビジネスモデルである。

2.イノベーションは新しいフレーミングである。:
マーケティングで顧客の要望を聞いても、イノベーションは生まれない。重要なのは仮説を立て、市場の見方(フレーミング)を変えることである。

3.どうすればイノベーションに成功するかわからないが、失敗には法則性がある。:
大企業が、役員の合意でイノベーションを生み出すことはできないし、特許のノルマでイノベーションが生まれることもない。

4.プラットホーム競争で勝つのは安くてよい商品とは限らない:
技術競争は、「標準化」ではなく進化的な生存競争だから、すぐれた規格が競争に勝つとは限らない。むしろ新しい「突然変異」を拡大する多数派工作が重要だ。

5.「ものづくり」にこだわる限り、イノベーションは生まれない:
特に情報産業の中心はソフトウェアであり、それは同じ製品を大量生産するものづくりではなく、ひとつの作品をつくるアートだから、要求されるスキルが製造とはまったく違う。

6.イノベーションにはオーナー企業が有利である:
事業部制のような複合型組織は、規模の経済の大きい製造業では有効だが、ソフトウェアを中心とする情報産業ではオーナー企業が有利である。

7.知的財産権の強化はイノベーションを阻害する:
特許や著作権がイノベーションに与える影響は、中立かマイナスという実証研究が多い。いま以上の権利強化は法務コストを増大させ、イノベーションを窒息させる。

8.銀行の融資によってイノベーションは生まれない:
ハイリスクの事業を行うには、株式などのエクイティによって資金調達する必要がある。銀行の融資や個人保証は危険である。

9.政府がイノベーションを生み出すことはできないが、阻害する効果は大きい:
政府はターゲッティング政策から手を引き、インフラ輸出などの重商主義的な政策もやめるべきだ。

10.過剰なコンセンサスを断ち切ることが重要だ:
イノベーションを高めるには、組織のガバナンスを改める必要がある。特に日本的コンセンサスを脱却し、突然変異を生み出すために、資本市場を利用して組織を再編することが役に立つ。